身代わり王女は隣国の皇弟に囚われる

2

 大陸の大半を占める領土を有するコーア帝国。大陸の実質的な支配権を握る大国だが、大陸の端に位置するキシュ王国に長年悩まされている。

 異様とも言えるほどに強く、魔法を信仰するキシュ王国。人口の少なさに対し、魔法を使える者が異常に多いのは、文献で遡ることもできないほど昔から、魔力のないものを排斥している結果だろう。腕利きの魔法使いが一人いるだけで、戦況は一気に覆ると言われている。それでも数的有利のある帝国が遅れを取ることはないけれど、簡単に攻略できる相手でもない。ゆくゆくは大陸を制覇するという大望を考えれば、キシュ王国は厄介な存在だ。

 そんな、キシュ王国との国境に程近い村で、村人が行方不明になるという事件が起きた。

 王国を征服したいけれど、理由もなく攻め入れば単なる虐殺でこちらが悪者。何か大義名分はないものか、と考えあぐねていたときのことだった。忽然と姿を消した村人は、年齢も性別もバラバラ。共通点らしい共通点は、魔力を持たないと言うことだけ。目的も背景も見えないが、帝国は王国を疑い、これを大義名分とすることにした。

 調査と言う名目で踏み入り、抵抗するようであれば戦闘になっても構わない、兵士は捕虜として捕えろ。そう皇帝に命じられたのは、皇帝の弟であるシルビオだ。輝く金の髪に澄んだ青の瞳を持つ彼は、皇帝とは母親が違う。彼の母親は側妃でもなければ貴族ですらない、皇宮で働く平民出身のメイドだった。良くも悪くも「英雄色を好む」を地で行った先代皇帝は、美しい金色の髪を持つ彼女に興味が湧いたのだろうか。何の躊躇いもなく、道端の花を手折るかのように手を出した。

 一夜の過ち以上の感情など伴わない行為が、実を結ぶことになるとは誰が予想できただろうか。

 少なくともシルビオの母親にとっては、想定外のことだった。自らの腹の中に皇帝の子がいると知ったときの、彼女の動揺たるや。皇帝と正妃との間には、既に皇子がいる。数多いる側妃はまだ誰も孕っていないけれど、時間の問題だろう。何の後ろ盾もない彼女が孕ったとて、側妃に召し上げられるはずもないし、生まれてくる子供がどうなるかもわからない。逃げるようにして職を辞した彼女は実家に戻り、ひっそり子供を産み落とした。黒髪の皇帝とは異なる、母親によく似た金色の髪をした男の子を。

 自分が皇帝の息子であることも知らず、平民として暮らしていた彼に転機が訪れたのは十年前のこと。幼少期に祖父母を亡くし、十歳で流行病によって母を亡くしたシルビオの元へ、皇宮からの使いが迎えにきたのだ。女性関係が派手だった先代皇帝は、何の因果か子宝には恵まれなかった。正妃は皇子以降身籠ることはなく、側妃にも子供は生まれない。後継者が一人であることに不安を覚えた皇帝の命令で、探しに探した末に見つかったのがシルビオだった。

 何が何やらわからないまま、唐突に皇宮へと召し上げられたシルビオ。物心着いたときから父親がいないことには、もちろん疑問に思っていた。けれど、いくら尋ねたところで祖父母も母もお茶を濁すばかりだったので、余程酷い男なのだろうと結論づけていたのだけれど。まさか皇帝だとは、想像だにしていなかった。母親を亡くしたばかりの悲しみは、父親が皇帝であるという衝撃に塗り替えられる。

 天涯孤独になったとばかり思っていた自分に、唐突に現れた家族。ドキドキしながら迎えた父親との初対面。玉座に座る父親は、シルビオとは似ても似つかない黒髪にヘーゼルの瞳。顔立ちが似ているかどうかは、自分ではよくわからない。自らに流れる母親の血が濃すぎることを理解したのを、よく覚えている。皇帝はシルビオの存在を歓迎してくれたけれど、息子と会えた喜びよりも、スペアが現れた安堵の方が大きいようだった。実際、母親のことや市井での暮らしのことはほとんど聞かれず、第二皇子としての責務を果たすようにと命じられるだけだった。自分が第二皇子だということすら、たった今知ったばかりだというのに。

 兄がいたことも、このとき初めて知った。第一皇子であるライナスは正妃との間に生まれ、皇帝と同じ黒髪にヘーゼルの瞳。皇帝によく似た面差しで、誰が見ても皇帝の血を継ぐ皇子だとわかるだろう。彼の母親である正妃も、数年前に亡くなったらしい。似たような境遇に同情を覚えたのだろうか、ライナスはシルビオに優しかった。

 皇族に突然現れた金髪の異分子に、臣下の目は様々だった。まさか平民に帝位を継がせるつもりかと厳しい目を向けるもの、娘を宛がって皇族に取り入ろうとするもの。厳しい皇子教育や鍛錬、母親を亡くした悲しみ。一変した環境は、シルビオに大きなストレスを与えた。市井で暮らしていたときと打って変わって体調を崩すことが増え、それが余計に臣下からの陰口を煽る。

 ひとりぼっちでもいいから元の家に帰りたい、そんなふうに思い詰めていたシルビオを救ったのは、ライナスとその婚約者であるセレステだった。何の思惑もなく、ただ純粋に弟として話しかけてくれる二人の存在にどれだけ救われただろうか。味方でいてくれることがどれだけありがたかっただろうか。元来活発かつ負けず嫌いな気質のシルビオは、数ヶ月経つ頃には元の調子を取り戻し、血の滲むような努力を重ねた。いつか兄夫婦が国を治めるのを支えられるように、そんな思いで。

 そうして数年が経ち、口さがない臣下を受け流せるほどには強かになった頃。皇帝が崩御された。若い頃の無茶が祟ったのだろうか、心臓を悪くしたかと思えばあっという間のことだった。結局最後まで親子らしい関係は築けなかったせいか、母が亡くなったときほどの悲しみはない。鎮痛な面持ちを装っている裏で、国葬の規模の大きさにただただ驚くばかりだった。

 葬儀が執り行われるのと前後して、ライナスが皇帝に即位。シルビオは皇弟となった。第二皇子よりも責任感の増す立場は、シルビオにプレッシャーを与える。けれど、「頼むぞ」とライナスに肩を叩かれたとき、頼られたようで誇らしさも覚えた。この人のために自分が尽くそう、矢面にだって立とう、そう決意を改める。

 その決意を発揮する初陣が、キシュ王国の調査だ。軍隊を率いて踏み入った王国は、何かしらの自覚があったのだろうか。帝国軍の姿を見るや先制攻撃を仕掛けてきた。魔法で飛ばされる斬撃や炎に翻弄されるけれど、それでやられるほど脆くはない。向こうから仕掛けてきたのだから、と堂々と反撃して調査は一転して戦闘に。あっという間に王国は戦場となった。

 向かってくる兵士を切り捨て、返り血を浴びながらシルビオたちは進む。王城までたどり着いたところで、王国軍の相手を部下に任せ侍従であるリオンと共に乗り込んだ。勢い込んで踏み入った玉座の間で、二人は目を見開く。

「なんだこれ……」

 辺り一面が真っ赤に染まり、咽せ返るほどの血の匂いで充満している。血溜まりの中心には、膝をついてうつ伏せに倒れる男と、仰向けに倒れる女。既に事切れた国王夫妻だということは、遠目にもすぐにわかった。罠を警戒しながら、慎重に近寄る。

「どういうことだ?」
「さあ……」

 国王の背中からは血に塗れた刃が生えていて、王妃の体には大きな傷がついている。国王が王妃を切り伏せた後、腹を貫いて自害したのだろう。そう察するには十分な状況証拠だ、が。

「ここまでやる必要はあるか?」
「……」

 王妃の肩から腰の辺りまで、斜めに横断するようにつけられた傷は臓物が見えるほどに深い。よっぽどの殺意がなければ、付けることのできない傷だろう。改めて辺りを見渡すと、王城は不自然なほど静まり返っている。外で王国の兵士が帝国兵に抵抗しているけれど、それでも国王夫妻の傍に護衛兵の一人もいないのは異常と言っていい。一体玉座の間で何があったのだろうか。

「リオン、確か国王夫妻には娘がいるな?」
「はい。稀代の魔法使いだと聞いています」
「俺はその娘を探す。リオンは外の兵士たちに、この状況を知らせてくれ」
「しかし、殿下を一人で行かせるわけには……」
「そんな柔な鍛えられ方はしてねえ」

 心配そうにするリオンだったけれど、それでも最後には皇弟の意思に従った。玉座の間を出ると、聳え立つ高い塔が目に入った。罪人を閉じ込めるために作られたのだろうか。豪奢な王城とは違い、簡素な石造りの塔は殺風景で近寄りがたい。まさかあんなところに王女はいないだろう、そう結論づけて隣の聖堂に足を向ける。

 キシュ王国の王女、エリシア。神の加護を受けた証だとキシュ王国では信じられている、白金の髪を持つ稀代の魔法使い。大陸では唯一、瞬間転移魔法が使えるほどの魔力の持ち主。彼女がどこまで関与しているかはわからないが、何かは知っているに違いない。

 聖堂の扉を乱暴に開けると、ステンドグラスをぼんやりと見上げる後ろ姿が目に入った。真っ白い衣装にヴェールを被った女は、きっとエリシア王女だろう。ツカツカとシルビオが歩み寄っても振り向くことはない。肩を掴んで強引に振り向かせたシルビオは、彼女の顔を見て目を見開いた。

 シルビオの目に映る彼女は、白金の髪ではなく黒い髪をしている。抜けるように白い肌、夜空の色を閉じ込めたような漆黒に、吸い込まれそうなほどに鮮やかな翡翠の瞳。聞いていたエリシア王女の姿とは異なるけれど、時が止まったかのように動けなくなった。

 けれど、見惚れていたのはほんの一瞬。すぐに我に返ると、血の滴る剣を首元に突きつける。別に、危害を加えるつもりはない。単なるハッタリだ。だが、彼女が表情を変えることはなかった。

「名前は?」
「……エリシア」

 鈴を転がすような声で端的に答える。名前は王女のものと一致している、が。どうにも違和感は拭えない。本当に目の前の彼女が稀代の魔法使いと名高い、エリシア王女なのだろうか。髪色は違うし、魔力も感じられない。誰が見ても偽物だと疑わずにはいられないだろう。

 けれど、どうにもおかしい。魔法にでもかけられたかのように、動悸が収まらない。この違和感に塗れた女の正体は、一体何なのか。なぜか脈打つ心臓に眉を顰めながら、シルビオはエリシアと名乗る彼女を帝国に連れ帰ることにした。
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