身代わり王女は隣国の皇弟に囚われる
3
「あいつ、本当に王女だと思うか?」
そう尋ねられたリオンは、僅かに眉を顰める。「あいつ」が誰を指しているのか、わからないわけではない。だが、主君の問いかけに対する明確な答えを彼は持ち合わせていなかった。代わりに、「口が悪いですよ、殿下」と答えになっていない答えを口にすると、「見逃せ」と返される。仰せのままに、見逃すことにした。
シルビオとリオンが向かう先は皇宮の地下牢。そこに閉じ込められているのは、キシュ王国の王女エリシア――と名乗る少女。世間に出回っている姿絵と同じ顔立ち、目の色をした彼女だが、そうだと断じることはできない。考えられるとすれば双子の妹、と言ったところだけれど。王国に娘が二人いるなどという話は聞いたことがないし、記録にも残っていない。
「本当に、魔力がないんだな?」
「はい。皇宮魔術師はそう判断しています」
「……」
そうだろうな、とシルビオも思う。少なからず魔法を使えるシルビオだが、稀代の魔法使いと持て囃されるほどの魔力を彼女からは感じない。心臓の動悸が激しくなったことから魔法にかけられたことを疑ったけれど、医師や皇宮魔術師に見せても特に異常は見られなかった。
「国境沿いの村人が行方不明になっている件は?」
「何も知らないと言っています」
「国王夫妻の死については?」
「自害したとだけ」
何かしらを知っているはずだと睨んで捕えたが、結果としては空振り。それどころか、謎が増えたと言ってもいい。消えた村人はどこへ行ったのか、国王夫妻の不審な死はどういうことなのか。解き明かすにはまず、彼女の正体を明かすところからだろう。
薄暗い石階段を一つずつ降りるたび、空気が冷たくなっていく。廊下にポツポツと取り付けられた松明の灯りしかない、太陽が差し込むことのない地下牢。簡素と言うより粗末な寝台に座り、黒髪の少女はぼんやりと壁を眺めている。塗り込めた夜空のような黒髪は、聖堂で会ったときと変わらず艶めいている。
「よお」
「!」
石床に響く足音が、聞こえていなかったのだろうか。肩を跳ねさせて勢いよく振り向いた彼女は、シルビオの姿を認めると目を見開いた。視線が交わった瞬間、また妙な動悸を感じたけれど気のせいだろう。両親は自害し、誰一人として味方のいない帝国に連れてこられ、地下牢に閉じ込められていると言うのに、彼女に憔悴した様子は見られない。図太いのか、肝が据わっているのか。翡翠の瞳は、薄暗い地下牢でも眩しいぐらいに輝きを放っている。ガシャン、と大袈裟な音を立てて鉄格子を掴む。
「いい加減本当のこと話せよ。お前は誰だ?」
「エリシア」
つん、と顎を逸らす彼女の答えは変わらない。「魔法も使えないのにか?」と高圧的に尋ねると、怯んだような目をしたけれどそれも一瞬だった。キシュ王国から連れてきて以来初めて対面するが、やはり魔力は欠片も感じない。皇宮魔術師の判断通り、彼女が魔法を使えないことは確実だろう。皇宮魔術師に造らせた魔力封じの腕輪を一応付けているけれど、果たして意味があるのかは疑問だ。が、腕輪には有事の際には居場所を探知できる魔法もかけてあるので、いつかは役に立つのだろう。
「両親が亡くなったんですもの。ショックで魔法が使えなくなってもおかしくはないでしょう?」
「髪色は? 聞いていた話と随分違うようだが」
「ストレスで髪色が変わるなんてよくあることでしょう?」
「なんでストレスで色素増えるんだよ。普通逆だろうが」
至極真っ当に返したつもりなのに、エリシアはつーんとそっぽを向いている。そもそも、両親の死にそこまで嘆き悲しんでいるようにも見えないのに、一体どの口でショックだとか宣っているのか。腰に提げた剣にわざとらしく手をかける。斜め後ろで控えているリオンが、まさかここで抜剣するつもりじゃないでしょうねと言いたげにしているのを視界の隅に捉え、口を開いた。
「態度には気をつけろよ。お前の命は帝国が握っていることを忘れてはいないな?」
「あら、ご丁寧に当たり前のことを教えてくださるのね」
「あ?」
「お父様とお母様が亡くなってここに連れて来られた時点で、私を生かすも殺すも帝国の一存で決まると覚悟していますわ」
どうぞお好きになさって、と挑発的に告げる彼女の態度は不遜極まりない。ショック受けてるとか絶対嘘だろ、と言いたいのを堪えて睨みつける。寝台に座ったまま睨みつける彼女の瞳は力強く、強がりを言っているようには見えない。
「偽物のくせによくそこまで啖呵が切れるものだ。そこだけは認めてやる」
「私が偽物だなんて、まだ仰るの? コーア帝国の皇子といえど節穴ですのね」
「ほざけ。今にその無駄口叩けなくしてやる」
「できるものなら」
売り言葉に買い言葉。シルビオをよく思っていない臣下や貴族の前では絶対に抑えるであろう、口の悪さを存分に発揮するシルビオ。視界の隅ではリオンが呆れたように目元を覆っている。バチバチと火花が散りそうな勢いで、自称エリシアと睨み合うシルビオ。愛らしい顔に浮かぶ生意気な表情の、なんと憎たらしいことか。
「ちょっと可愛い顔してるからって調子乗りやがって」
「? ありがとうございます」
「褒めてねえよ」
吐き捨てるように告げ、盛大な舌打ちを残して踵を返すシルビオ。背後からついてくるリオンが何か言いたげにしているが、どうせ小言だろうと無視した。ろくな尋問もできなかったが、やはり彼女が王女エリシアでない可能性は高い。髪色は魔法で変えている可能性もあるけれど、稀代の魔法使いでないことは確かだ。彼女がエリシアではないとしたら一体誰なのか、というところは疑問が残るが。
いずれにせよ、兄である皇帝の判断を仰ぐ他ないだろう。呼び出された玉座の間へと、シルビオは急いだ。
*
「……恐れながら陛下、今なんと?」
信じられない言葉が聞こえた。聞き間違いだろう、と希望を抱いて聞き返してみたけれど、皇帝の表情は変わらない。穏やかで優しい兄だけれど、それはそれ。大陸最大規模の大国であるコーア帝国を治める皇帝は、相手が肉親であっても冷静かつ冷徹だ。動揺する弟に、先ほどと一言一句違わず繰り返した。
「あの娘と結婚しろ」
「なんで!?」
動揺からの粗い言葉遣いに、家臣たちが一斉にじろりと睨みつける。皇弟といえど、庶子であるシルビオ。先代皇帝の黒髪を引き継げなかった彼に向けられる視線は、今もなお厳しい。間違ってもシルビオを皇帝として担ぐ輩が現れないよう、わざと粗暴な態度と言葉遣いのままでいるので願ったり叶ったりではあるのだが。それでも、「皇弟に相応しくない」だとか「これだから市井育ちは」だとか毎度律儀に苦言を呈されるのは鬱陶しい。そのため普段はそれなりに取り繕っているのだが、今回ばかりは難しかった。動揺を隠せないシルビオに、皇帝は淡々と続ける。
「キシュ王国は、帝国が暫定的に治めることになった」
かの国の王族は、国王夫妻とその娘のエリシア王女だけ。国王夫妻が亡くなり、王位継承権を持つ王女はコーア帝国が捕えている。後から調べてわかったことだが、国内の有力貴族も軒並み姿を消しているようだ。その行方も依然として知れず、自称エリシアは貴族が姿を消したことすら知らないらしい。途方に暮れるのは、捕虜として捕えた王国兵や何も知らない民間人。統治者がいなくなったのだから、当然のことだろう。
そこで帝国が暫定的に王国を治めることになった、というのは自然の流れだろう。コーア帝国の消えた村人、キシュ王国の貴族の行方、国王夫妻の不審死、エリシアと名乗る女の正体。王国を取り巻く謎が全て解決するまで、ということらしいけれど、それで終わるはずないことは流石に想像がつく。皇帝はこれを機にキシュ王国をコーア帝国の領地に取り込み、大陸制覇を成し遂げるつもりだ。
そのために課題となるのが、キシュ王国の王位継承者の存在だ。一連の事件の重要参考人としてコーア帝国に連れ帰ってはいるが、罪状がない状態でいつまでも地下牢に閉じ込めておくわけにもいかない。かといって、彼女が王女かどうかの判断もつかないまま王国に戻し、新たな国王として擁立されても厄介だ。
彼女の正体を見極めること、キシュ王国で新たな国王を即位させないこと。目的という名の本音を、両国の和平という建前で包むため、結婚という手段が取られるのは理に適っていると言える。頭では理解できるものの、あまりの衝撃に首を縦に振ることができなかった。
「お前にしか頼めないんだ」
けれど皇帝であり、兄であるライナスの一言に、異を唱えられるはずもない。突然現れたシルビオを弟として迎え入れてくれたのはライナスだ。ライナスが受け入れてくれなければ、シルビオの皇宮での生活はもっと苦しいものになっていたことは火を見るよりも明らか。そんな兄からの直々の頼みを、聞かないわけにはいかない。
「陛下の、仰せのままに」
こうして、両国の和平を建前とした婚約は結ばれることになった。当人である、地下牢の自称エリシア王女が預かり知らぬところで。
そう尋ねられたリオンは、僅かに眉を顰める。「あいつ」が誰を指しているのか、わからないわけではない。だが、主君の問いかけに対する明確な答えを彼は持ち合わせていなかった。代わりに、「口が悪いですよ、殿下」と答えになっていない答えを口にすると、「見逃せ」と返される。仰せのままに、見逃すことにした。
シルビオとリオンが向かう先は皇宮の地下牢。そこに閉じ込められているのは、キシュ王国の王女エリシア――と名乗る少女。世間に出回っている姿絵と同じ顔立ち、目の色をした彼女だが、そうだと断じることはできない。考えられるとすれば双子の妹、と言ったところだけれど。王国に娘が二人いるなどという話は聞いたことがないし、記録にも残っていない。
「本当に、魔力がないんだな?」
「はい。皇宮魔術師はそう判断しています」
「……」
そうだろうな、とシルビオも思う。少なからず魔法を使えるシルビオだが、稀代の魔法使いと持て囃されるほどの魔力を彼女からは感じない。心臓の動悸が激しくなったことから魔法にかけられたことを疑ったけれど、医師や皇宮魔術師に見せても特に異常は見られなかった。
「国境沿いの村人が行方不明になっている件は?」
「何も知らないと言っています」
「国王夫妻の死については?」
「自害したとだけ」
何かしらを知っているはずだと睨んで捕えたが、結果としては空振り。それどころか、謎が増えたと言ってもいい。消えた村人はどこへ行ったのか、国王夫妻の不審な死はどういうことなのか。解き明かすにはまず、彼女の正体を明かすところからだろう。
薄暗い石階段を一つずつ降りるたび、空気が冷たくなっていく。廊下にポツポツと取り付けられた松明の灯りしかない、太陽が差し込むことのない地下牢。簡素と言うより粗末な寝台に座り、黒髪の少女はぼんやりと壁を眺めている。塗り込めた夜空のような黒髪は、聖堂で会ったときと変わらず艶めいている。
「よお」
「!」
石床に響く足音が、聞こえていなかったのだろうか。肩を跳ねさせて勢いよく振り向いた彼女は、シルビオの姿を認めると目を見開いた。視線が交わった瞬間、また妙な動悸を感じたけれど気のせいだろう。両親は自害し、誰一人として味方のいない帝国に連れてこられ、地下牢に閉じ込められていると言うのに、彼女に憔悴した様子は見られない。図太いのか、肝が据わっているのか。翡翠の瞳は、薄暗い地下牢でも眩しいぐらいに輝きを放っている。ガシャン、と大袈裟な音を立てて鉄格子を掴む。
「いい加減本当のこと話せよ。お前は誰だ?」
「エリシア」
つん、と顎を逸らす彼女の答えは変わらない。「魔法も使えないのにか?」と高圧的に尋ねると、怯んだような目をしたけれどそれも一瞬だった。キシュ王国から連れてきて以来初めて対面するが、やはり魔力は欠片も感じない。皇宮魔術師の判断通り、彼女が魔法を使えないことは確実だろう。皇宮魔術師に造らせた魔力封じの腕輪を一応付けているけれど、果たして意味があるのかは疑問だ。が、腕輪には有事の際には居場所を探知できる魔法もかけてあるので、いつかは役に立つのだろう。
「両親が亡くなったんですもの。ショックで魔法が使えなくなってもおかしくはないでしょう?」
「髪色は? 聞いていた話と随分違うようだが」
「ストレスで髪色が変わるなんてよくあることでしょう?」
「なんでストレスで色素増えるんだよ。普通逆だろうが」
至極真っ当に返したつもりなのに、エリシアはつーんとそっぽを向いている。そもそも、両親の死にそこまで嘆き悲しんでいるようにも見えないのに、一体どの口でショックだとか宣っているのか。腰に提げた剣にわざとらしく手をかける。斜め後ろで控えているリオンが、まさかここで抜剣するつもりじゃないでしょうねと言いたげにしているのを視界の隅に捉え、口を開いた。
「態度には気をつけろよ。お前の命は帝国が握っていることを忘れてはいないな?」
「あら、ご丁寧に当たり前のことを教えてくださるのね」
「あ?」
「お父様とお母様が亡くなってここに連れて来られた時点で、私を生かすも殺すも帝国の一存で決まると覚悟していますわ」
どうぞお好きになさって、と挑発的に告げる彼女の態度は不遜極まりない。ショック受けてるとか絶対嘘だろ、と言いたいのを堪えて睨みつける。寝台に座ったまま睨みつける彼女の瞳は力強く、強がりを言っているようには見えない。
「偽物のくせによくそこまで啖呵が切れるものだ。そこだけは認めてやる」
「私が偽物だなんて、まだ仰るの? コーア帝国の皇子といえど節穴ですのね」
「ほざけ。今にその無駄口叩けなくしてやる」
「できるものなら」
売り言葉に買い言葉。シルビオをよく思っていない臣下や貴族の前では絶対に抑えるであろう、口の悪さを存分に発揮するシルビオ。視界の隅ではリオンが呆れたように目元を覆っている。バチバチと火花が散りそうな勢いで、自称エリシアと睨み合うシルビオ。愛らしい顔に浮かぶ生意気な表情の、なんと憎たらしいことか。
「ちょっと可愛い顔してるからって調子乗りやがって」
「? ありがとうございます」
「褒めてねえよ」
吐き捨てるように告げ、盛大な舌打ちを残して踵を返すシルビオ。背後からついてくるリオンが何か言いたげにしているが、どうせ小言だろうと無視した。ろくな尋問もできなかったが、やはり彼女が王女エリシアでない可能性は高い。髪色は魔法で変えている可能性もあるけれど、稀代の魔法使いでないことは確かだ。彼女がエリシアではないとしたら一体誰なのか、というところは疑問が残るが。
いずれにせよ、兄である皇帝の判断を仰ぐ他ないだろう。呼び出された玉座の間へと、シルビオは急いだ。
*
「……恐れながら陛下、今なんと?」
信じられない言葉が聞こえた。聞き間違いだろう、と希望を抱いて聞き返してみたけれど、皇帝の表情は変わらない。穏やかで優しい兄だけれど、それはそれ。大陸最大規模の大国であるコーア帝国を治める皇帝は、相手が肉親であっても冷静かつ冷徹だ。動揺する弟に、先ほどと一言一句違わず繰り返した。
「あの娘と結婚しろ」
「なんで!?」
動揺からの粗い言葉遣いに、家臣たちが一斉にじろりと睨みつける。皇弟といえど、庶子であるシルビオ。先代皇帝の黒髪を引き継げなかった彼に向けられる視線は、今もなお厳しい。間違ってもシルビオを皇帝として担ぐ輩が現れないよう、わざと粗暴な態度と言葉遣いのままでいるので願ったり叶ったりではあるのだが。それでも、「皇弟に相応しくない」だとか「これだから市井育ちは」だとか毎度律儀に苦言を呈されるのは鬱陶しい。そのため普段はそれなりに取り繕っているのだが、今回ばかりは難しかった。動揺を隠せないシルビオに、皇帝は淡々と続ける。
「キシュ王国は、帝国が暫定的に治めることになった」
かの国の王族は、国王夫妻とその娘のエリシア王女だけ。国王夫妻が亡くなり、王位継承権を持つ王女はコーア帝国が捕えている。後から調べてわかったことだが、国内の有力貴族も軒並み姿を消しているようだ。その行方も依然として知れず、自称エリシアは貴族が姿を消したことすら知らないらしい。途方に暮れるのは、捕虜として捕えた王国兵や何も知らない民間人。統治者がいなくなったのだから、当然のことだろう。
そこで帝国が暫定的に王国を治めることになった、というのは自然の流れだろう。コーア帝国の消えた村人、キシュ王国の貴族の行方、国王夫妻の不審死、エリシアと名乗る女の正体。王国を取り巻く謎が全て解決するまで、ということらしいけれど、それで終わるはずないことは流石に想像がつく。皇帝はこれを機にキシュ王国をコーア帝国の領地に取り込み、大陸制覇を成し遂げるつもりだ。
そのために課題となるのが、キシュ王国の王位継承者の存在だ。一連の事件の重要参考人としてコーア帝国に連れ帰ってはいるが、罪状がない状態でいつまでも地下牢に閉じ込めておくわけにもいかない。かといって、彼女が王女かどうかの判断もつかないまま王国に戻し、新たな国王として擁立されても厄介だ。
彼女の正体を見極めること、キシュ王国で新たな国王を即位させないこと。目的という名の本音を、両国の和平という建前で包むため、結婚という手段が取られるのは理に適っていると言える。頭では理解できるものの、あまりの衝撃に首を縦に振ることができなかった。
「お前にしか頼めないんだ」
けれど皇帝であり、兄であるライナスの一言に、異を唱えられるはずもない。突然現れたシルビオを弟として迎え入れてくれたのはライナスだ。ライナスが受け入れてくれなければ、シルビオの皇宮での生活はもっと苦しいものになっていたことは火を見るよりも明らか。そんな兄からの直々の頼みを、聞かないわけにはいかない。
「陛下の、仰せのままに」
こうして、両国の和平を建前とした婚約は結ばれることになった。当人である、地下牢の自称エリシア王女が預かり知らぬところで。