身代わり王女は隣国の皇弟に囚われる
20
ネリアを探しに出立したシルビオが、馬を駆ること数時間。彼は王国にいた。
「反応は?」
王宮の隣にある聖堂の前に辿り着き、馬から降りるシルビオ。背後の皇宮魔術師にそう尋ねると、「近いです」と返される。魔術師が確認しているのは、魔力封じの名目でネリアにつけさせていた腕輪の反応。魔力を封じる以外にも、有事の際には居場所を探知できる魔法がかけられている。つくづく、優秀な魔術師が帝国にいてくれたものだ。
――どこから探したものか。
数ヶ月前、初めてネリアと出会った聖堂。その場所を前にして、思案に耽りかけたときだった。誰もいなかったはずのその場所に、突如誰かが現れた。腰に提げた剣の柄に手を伸ばすシルビオ。
「ごきげんよう、皇弟殿下」
神秘的な白金の髪をたなびかせる少女が、にっこりと微笑んで口を開く。武装した兵士たちを前にしても、余裕のある態度を崩さない。翡翠の瞳と面立ちは、ネリアそっくりだ。彼女の正体にはすぐ思い至った、けれど。ネリアと初めて会ったときのような動悸は感じない。代わりに、ぞわりと背中に悪寒が走った。
「なるほど、あんたが本物のエリシアってわけね」
「あら、初対面の女性を呼び捨て? 随分と礼儀のなっていない皇子様だこと」
慇懃無礼な物言いのエリシア。その表情と物言いにはどこか既視感がある。考えるまでもなく、初めて会った頃のネリアだと気がついた。彼女はずっと、エリシアの真似をしていたのだろう。点と点が線で繋がるような感覚を覚えながら、「俺の婚約者を攫ったのはあんたか?」と問いかける。
「攫うだなんて人聞きが悪いわね。双子の片割れを返してもらっただけよ」
ほとんど確信していたけれど、やはりネリアはエリシアの妹らしい。髪の色以外は確かによく似ているが、たとえ髪の色を同じにしたとしても、見間違えることはないだろう。表情も喋り方も仕草も、シルビオが見てきたネリアとは何もかもが違う。
「キシュ王国の王女、エリシア。あんたには聞かなきゃならねえことがたくさんあるが、まずは俺の婚約者の居場所を教えてもらおうか」
「嫌だと言ったら?」
「泣かす」
「やってご覧なさい」
シルビオが地面を蹴るのと、エリシアが指を鳴らすのとは同時だった。背後でリオンが、「かかれ!」と叫んでいる。丸腰の女の子一人に対して、こちらは武装した兵士十名程度。あまりに多勢に無勢だとは思ったけれど、相手はキシュ王国が誇る稀代の魔法使いなのだ。あくまで目標は相手の捕獲だが、警戒に越したことはない。
シルビオたちが距離を詰めるより早く、エリシアの魔法が飛んでくる。指をパチンと鳴らすたび、灼熱の炎が襲いかかる。稀代の魔法使いが炎で戦うことは、帝国では知られていなかったことだ。皇宮魔術師が防御魔法を展開してくれるけれど、全員に間に合うわけではない。何人かの兵士が倒れるのを横目に、飛んでくる炎撃を斬って落とす。じりじりとエリシアとの距離を詰めていくけれど、稀代の魔法使いに焦った様子は見られない。
「か弱い女の子相手に、帝国民は随分と野蛮ね?」
「涼しい顔で捌いといてよく言うぜ」
こちらは炎を捌くのに精一杯だというのに、お喋りする余裕すらあるらしい。指に髪を巻き付けるエリシアは、「炎だけじゃだめなのね」と独り言のように呟く。これ以上何かする気かよ、と警戒したのも束の間。指をパチンと鳴らすと、エリシアの目の前の土がぼこぼこと盛り上がった。背中を嫌な汗が伝う。わずかに炎が止まった隙に土に切りかかったけれど、大した手応えもなく吹っ飛ばされてしまった。地面に叩きつけられるシルビオに、「殿下!」とリオンが駆け寄ってくるのを制して、立ち上がる。
「ゴーレムを作っている最中は攻撃してはいけないって教わらなかった?」
「どこの教本に乗ってんだよ、それ」
ゴーレム、人を模った土塊。背丈はシルビオの二倍はあるだろうか。エリシアを守るかのように立ちはだかるそれに、違う系統の魔法を同時に展開できるなんて聞いてねえよと泣き言を言いたくなった。エリシアの指の動きに合わせ、ゴーレムが出鱈目に腕を振り回す。わずかに止まっていた炎撃も再開。多勢に無勢など意味をなさないほどの劣勢に、末恐ろしさを感じた。たった一人の魔法使いにこれだけ手こずるのだ、王国を小国と侮っていたのは間違いだったかもしれない。
炎を避けながらゴーレムを避けることは、思っていたよりずっと難しい。何度も吹っ飛ばされるうち、擦り傷が増えていく。炎で皮膚が炙られ、喉の奥がひりつく。他の兵士を気遣う余裕もない。倒されては立ち上がってゴーレムに斬り掛かり、吹っ飛ばされてはまた立ち上がることを繰り返す。軋むように全身が痛むけれど、骨にヒビでも入っているのだろうか。
「皇子様が随分と頑張るのねえ。魔法も使えないあの子のために」
感嘆するような、馬鹿にするような声。まるで魔法を使えないことに価値を見出していないかのような口ぶりに、思わずエリシアを見つめる。シルビオを薄ら笑うその表情は、ネリアが決して浮かべることのない類のものだ。彼女がエリシアを装っていたときですら覚えなかった不快感に、頭が熱い。
「たったの数ヶ月、一緒にいただけでしょう? それであの子の何をわかった気になっているの?」
ここまで追いかけてくるなんて、と肩を竦めるエリシア。彼女は、魔法を使えない妹を追いかけてきた男の心理が理解できないのだろう。確かに、シルビオとネリアの付き合いはたった数ヶ月。姉妹であるエリシアとネリアに比べれば、一瞬と言ってもいいほどに短い。
けれど、たったの数ヶ月、されど数ヶ月。思えば、ネリアを一目見たときの、心臓のざわつきが答えだった。
「……あいつさあ、王国でパーティーに参加したことってある?」
「なんですの、いきなり」
「いいから答えろよ」
「あるわけないでしょう? 魔力がないのよ」
何を当然のことを尋ねるのか、と言いたげなエリシア。魔力を持たないことと、パーティーに参加したことのない相関性がいまいちわからない。黙ったままでいると、「無知な帝国の皇子様に教えてあげる」と顎を逸らす。いちいち仕草が腹立たしい女だ、と思いながら耳を傾けた。
「キシュ王国の王家に生まれた子供が、魔法を使えないだなんて許されるはずがないの」
ああなるほど、と理解する。ほんの少しのやり取りで悟ったけれど、どうやら稀代の魔法使いは、魔法を使えないものに対して差別的らしい。ある意味、魔法を異様に信仰するキシュ王国の王女らしい性質だ。「妹に向かって随分な言いようだな」と告げると、「あら、これでもネリアのことは大事にしているつもりよ?」と返される。
「魔力を持たないやつに価値はないのにか?」
「ええ、だから私が価値を与えてあげるの」
「? どういう意味だ」
「そうね……バレるのは時間の問題だから、教えてあげるわ」
ペラペラと楽しそうに話すエリシア。話したがりなのか、それとも戦闘で興奮しているのだろうか。先ほどから、攻撃魔法よりもお喋りの方に夢中になっているようだ。この隙に捕まえてしまおうか、と考えたシルビオだけれど、彼女の放った言葉がそれを防いだ。
「魔力持ちから魔力を抽出して、非魔力持ちに注入する魔法を編み出したの」
「……は?」
「これでネリアにも価値を与えてあげられる。あんな狭い塔の中じゃなくて、王宮で一緒に暮らせる」
「……」
「だから、あなたになんて渡さない。私の邪魔をするのならここで死んでもらうわ」
翡翠の瞳がギラギラと輝き、シルビオを見据える。一国の王女が出せるとも思えない気迫に、思わず気圧されてしまった。土塊と炎と怒号が飛び交っているこの場において、エリシアだけが異質だ。不自然に汚れのない彼女の見えている世界は、あまりに歪。魔法を絶対とし、非魔力持ちに価値はないと言い切る割に、魔法を使えない妹に対する愛情と執着はあまりに重い。
何が彼女をそうさせるのか、シルビオにはわからない。彼女がシルビオのことを理解できないことと同じだ。けれど、理解できないからこそ、わかることがある。「はっ」とわざとらしく鼻で笑うと、エリシアは露骨に顔を歪めた。
「何がおかしいの」
「おかしいに決まってる。魔力の有無でしかあいつの価値を測れねえなんて、生まれたときから一緒の意味ねえな」
「はあ?」
ネリアに魔力がないことなんて、それこそ出会ったときからわかりきっている。エリシア王女ではないのだろうと疑いながらも、帝国の利益のためだけに婚約した。そこに彼女の魔力の有無は関係ない。一緒に時間を過ごすうち、彼女がエリシア王女でないことはほとんど確定したけれど、それでもいいと思った。
「味方なんて誰もいない国に連れてこられて、偽物だのなんだの疑われて、急に皇弟と結婚しろなんて言われてさ。心細くないはずないんだよ」
正体を暴こうと躍起になって数ヶ月ずっと見ていたのだ、シルビオだからこそわかる。王女だなんて微塵も信じてもらえず、帝国の歴史や文化を教え込まれ、王国には帰してもらえない。けれど、そんな状況でも、不満も泣き言も言わず、直向きに努力していたのをシルビオは誰よりも知っている。出会ってからこれまで、ネリアに価値がなかったことなんて一度もないのだ。
「王国と国民を誰より心配してたあいつに、どんな場所でも一国の王女であろうとしたあいつに、価値が無いわけねえ」
「……」
「魔法が使えるだけのお前より、よっぽどな」
眉間に皺を寄せるエリシア。思うところはあったのか、何も言い返さない。周囲を見渡すと、炎とゴーレムの勢いは弱まっている。稀代の魔法使いといえど、魔法の精度は精神状態に影響するらしい。さすがに、この隙を見逃すわけにはいかない。「リオン!」と振り向いて叫ぶ。すでに兵士のほとんどはボロボロで、防御魔法を展開する皇宮魔術師も疲労困憊。それでも、負ける気はしなかった。
「稀代の魔法使いと言えど、直に魔力も切れる! 踏ん張れ!」
「御意!」
リオンの返事に呼応するかのように、周囲の兵士も最後の力を振り絞る。シルビオの煽りに腹を立てたのか、「勝手なこと言わないでくださる?」とエリシアはどこか苛立たしげだ。炎の勢いが増すけれど、やはり魔力の限界は近いのだろう。先ほどまでの涼しげな表情が一変、ひたいに汗が滲み、呼吸も苦しそうだ。
「空元気か?」
「そっくりそのままお返ししますわ」
こちらの体力が尽きるのが先か、エリシアの魔力が尽きるのが先か。エリシアに斬りかからんと地面を蹴り、駆ける。炎と土塊の攻撃を掻い潜り、ようやく剣の範囲内に彼女を捕らえた、けれど。ジリ貧でもさすがは稀代の魔法使い。ゴーレムを巧みに操ってシルビオを捕らえ、地面に叩きつける。骨が軋み、「ぐっ……」と口から呻きと血が溢れた。
「さようなら、皇弟殿下」
ゴーレムに潰されるシルビオのところまで近寄り、乱れた白金の髪を耳にかけるエリシア。眼前には鈍器のような土塊が迫っている。「殿下!」とリオンが叫ぶ声が遠い。皇宮魔術師の魔法も間に合わないだろう。これで終わりか、と一種の諦念を覚え、瞳を閉じた瞬間だった。
「エリシアもうやめて!」
戦場に響いたのは、聞きたくてたまらなかった声だった。
「反応は?」
王宮の隣にある聖堂の前に辿り着き、馬から降りるシルビオ。背後の皇宮魔術師にそう尋ねると、「近いです」と返される。魔術師が確認しているのは、魔力封じの名目でネリアにつけさせていた腕輪の反応。魔力を封じる以外にも、有事の際には居場所を探知できる魔法がかけられている。つくづく、優秀な魔術師が帝国にいてくれたものだ。
――どこから探したものか。
数ヶ月前、初めてネリアと出会った聖堂。その場所を前にして、思案に耽りかけたときだった。誰もいなかったはずのその場所に、突如誰かが現れた。腰に提げた剣の柄に手を伸ばすシルビオ。
「ごきげんよう、皇弟殿下」
神秘的な白金の髪をたなびかせる少女が、にっこりと微笑んで口を開く。武装した兵士たちを前にしても、余裕のある態度を崩さない。翡翠の瞳と面立ちは、ネリアそっくりだ。彼女の正体にはすぐ思い至った、けれど。ネリアと初めて会ったときのような動悸は感じない。代わりに、ぞわりと背中に悪寒が走った。
「なるほど、あんたが本物のエリシアってわけね」
「あら、初対面の女性を呼び捨て? 随分と礼儀のなっていない皇子様だこと」
慇懃無礼な物言いのエリシア。その表情と物言いにはどこか既視感がある。考えるまでもなく、初めて会った頃のネリアだと気がついた。彼女はずっと、エリシアの真似をしていたのだろう。点と点が線で繋がるような感覚を覚えながら、「俺の婚約者を攫ったのはあんたか?」と問いかける。
「攫うだなんて人聞きが悪いわね。双子の片割れを返してもらっただけよ」
ほとんど確信していたけれど、やはりネリアはエリシアの妹らしい。髪の色以外は確かによく似ているが、たとえ髪の色を同じにしたとしても、見間違えることはないだろう。表情も喋り方も仕草も、シルビオが見てきたネリアとは何もかもが違う。
「キシュ王国の王女、エリシア。あんたには聞かなきゃならねえことがたくさんあるが、まずは俺の婚約者の居場所を教えてもらおうか」
「嫌だと言ったら?」
「泣かす」
「やってご覧なさい」
シルビオが地面を蹴るのと、エリシアが指を鳴らすのとは同時だった。背後でリオンが、「かかれ!」と叫んでいる。丸腰の女の子一人に対して、こちらは武装した兵士十名程度。あまりに多勢に無勢だとは思ったけれど、相手はキシュ王国が誇る稀代の魔法使いなのだ。あくまで目標は相手の捕獲だが、警戒に越したことはない。
シルビオたちが距離を詰めるより早く、エリシアの魔法が飛んでくる。指をパチンと鳴らすたび、灼熱の炎が襲いかかる。稀代の魔法使いが炎で戦うことは、帝国では知られていなかったことだ。皇宮魔術師が防御魔法を展開してくれるけれど、全員に間に合うわけではない。何人かの兵士が倒れるのを横目に、飛んでくる炎撃を斬って落とす。じりじりとエリシアとの距離を詰めていくけれど、稀代の魔法使いに焦った様子は見られない。
「か弱い女の子相手に、帝国民は随分と野蛮ね?」
「涼しい顔で捌いといてよく言うぜ」
こちらは炎を捌くのに精一杯だというのに、お喋りする余裕すらあるらしい。指に髪を巻き付けるエリシアは、「炎だけじゃだめなのね」と独り言のように呟く。これ以上何かする気かよ、と警戒したのも束の間。指をパチンと鳴らすと、エリシアの目の前の土がぼこぼこと盛り上がった。背中を嫌な汗が伝う。わずかに炎が止まった隙に土に切りかかったけれど、大した手応えもなく吹っ飛ばされてしまった。地面に叩きつけられるシルビオに、「殿下!」とリオンが駆け寄ってくるのを制して、立ち上がる。
「ゴーレムを作っている最中は攻撃してはいけないって教わらなかった?」
「どこの教本に乗ってんだよ、それ」
ゴーレム、人を模った土塊。背丈はシルビオの二倍はあるだろうか。エリシアを守るかのように立ちはだかるそれに、違う系統の魔法を同時に展開できるなんて聞いてねえよと泣き言を言いたくなった。エリシアの指の動きに合わせ、ゴーレムが出鱈目に腕を振り回す。わずかに止まっていた炎撃も再開。多勢に無勢など意味をなさないほどの劣勢に、末恐ろしさを感じた。たった一人の魔法使いにこれだけ手こずるのだ、王国を小国と侮っていたのは間違いだったかもしれない。
炎を避けながらゴーレムを避けることは、思っていたよりずっと難しい。何度も吹っ飛ばされるうち、擦り傷が増えていく。炎で皮膚が炙られ、喉の奥がひりつく。他の兵士を気遣う余裕もない。倒されては立ち上がってゴーレムに斬り掛かり、吹っ飛ばされてはまた立ち上がることを繰り返す。軋むように全身が痛むけれど、骨にヒビでも入っているのだろうか。
「皇子様が随分と頑張るのねえ。魔法も使えないあの子のために」
感嘆するような、馬鹿にするような声。まるで魔法を使えないことに価値を見出していないかのような口ぶりに、思わずエリシアを見つめる。シルビオを薄ら笑うその表情は、ネリアが決して浮かべることのない類のものだ。彼女がエリシアを装っていたときですら覚えなかった不快感に、頭が熱い。
「たったの数ヶ月、一緒にいただけでしょう? それであの子の何をわかった気になっているの?」
ここまで追いかけてくるなんて、と肩を竦めるエリシア。彼女は、魔法を使えない妹を追いかけてきた男の心理が理解できないのだろう。確かに、シルビオとネリアの付き合いはたった数ヶ月。姉妹であるエリシアとネリアに比べれば、一瞬と言ってもいいほどに短い。
けれど、たったの数ヶ月、されど数ヶ月。思えば、ネリアを一目見たときの、心臓のざわつきが答えだった。
「……あいつさあ、王国でパーティーに参加したことってある?」
「なんですの、いきなり」
「いいから答えろよ」
「あるわけないでしょう? 魔力がないのよ」
何を当然のことを尋ねるのか、と言いたげなエリシア。魔力を持たないことと、パーティーに参加したことのない相関性がいまいちわからない。黙ったままでいると、「無知な帝国の皇子様に教えてあげる」と顎を逸らす。いちいち仕草が腹立たしい女だ、と思いながら耳を傾けた。
「キシュ王国の王家に生まれた子供が、魔法を使えないだなんて許されるはずがないの」
ああなるほど、と理解する。ほんの少しのやり取りで悟ったけれど、どうやら稀代の魔法使いは、魔法を使えないものに対して差別的らしい。ある意味、魔法を異様に信仰するキシュ王国の王女らしい性質だ。「妹に向かって随分な言いようだな」と告げると、「あら、これでもネリアのことは大事にしているつもりよ?」と返される。
「魔力を持たないやつに価値はないのにか?」
「ええ、だから私が価値を与えてあげるの」
「? どういう意味だ」
「そうね……バレるのは時間の問題だから、教えてあげるわ」
ペラペラと楽しそうに話すエリシア。話したがりなのか、それとも戦闘で興奮しているのだろうか。先ほどから、攻撃魔法よりもお喋りの方に夢中になっているようだ。この隙に捕まえてしまおうか、と考えたシルビオだけれど、彼女の放った言葉がそれを防いだ。
「魔力持ちから魔力を抽出して、非魔力持ちに注入する魔法を編み出したの」
「……は?」
「これでネリアにも価値を与えてあげられる。あんな狭い塔の中じゃなくて、王宮で一緒に暮らせる」
「……」
「だから、あなたになんて渡さない。私の邪魔をするのならここで死んでもらうわ」
翡翠の瞳がギラギラと輝き、シルビオを見据える。一国の王女が出せるとも思えない気迫に、思わず気圧されてしまった。土塊と炎と怒号が飛び交っているこの場において、エリシアだけが異質だ。不自然に汚れのない彼女の見えている世界は、あまりに歪。魔法を絶対とし、非魔力持ちに価値はないと言い切る割に、魔法を使えない妹に対する愛情と執着はあまりに重い。
何が彼女をそうさせるのか、シルビオにはわからない。彼女がシルビオのことを理解できないことと同じだ。けれど、理解できないからこそ、わかることがある。「はっ」とわざとらしく鼻で笑うと、エリシアは露骨に顔を歪めた。
「何がおかしいの」
「おかしいに決まってる。魔力の有無でしかあいつの価値を測れねえなんて、生まれたときから一緒の意味ねえな」
「はあ?」
ネリアに魔力がないことなんて、それこそ出会ったときからわかりきっている。エリシア王女ではないのだろうと疑いながらも、帝国の利益のためだけに婚約した。そこに彼女の魔力の有無は関係ない。一緒に時間を過ごすうち、彼女がエリシア王女でないことはほとんど確定したけれど、それでもいいと思った。
「味方なんて誰もいない国に連れてこられて、偽物だのなんだの疑われて、急に皇弟と結婚しろなんて言われてさ。心細くないはずないんだよ」
正体を暴こうと躍起になって数ヶ月ずっと見ていたのだ、シルビオだからこそわかる。王女だなんて微塵も信じてもらえず、帝国の歴史や文化を教え込まれ、王国には帰してもらえない。けれど、そんな状況でも、不満も泣き言も言わず、直向きに努力していたのをシルビオは誰よりも知っている。出会ってからこれまで、ネリアに価値がなかったことなんて一度もないのだ。
「王国と国民を誰より心配してたあいつに、どんな場所でも一国の王女であろうとしたあいつに、価値が無いわけねえ」
「……」
「魔法が使えるだけのお前より、よっぽどな」
眉間に皺を寄せるエリシア。思うところはあったのか、何も言い返さない。周囲を見渡すと、炎とゴーレムの勢いは弱まっている。稀代の魔法使いといえど、魔法の精度は精神状態に影響するらしい。さすがに、この隙を見逃すわけにはいかない。「リオン!」と振り向いて叫ぶ。すでに兵士のほとんどはボロボロで、防御魔法を展開する皇宮魔術師も疲労困憊。それでも、負ける気はしなかった。
「稀代の魔法使いと言えど、直に魔力も切れる! 踏ん張れ!」
「御意!」
リオンの返事に呼応するかのように、周囲の兵士も最後の力を振り絞る。シルビオの煽りに腹を立てたのか、「勝手なこと言わないでくださる?」とエリシアはどこか苛立たしげだ。炎の勢いが増すけれど、やはり魔力の限界は近いのだろう。先ほどまでの涼しげな表情が一変、ひたいに汗が滲み、呼吸も苦しそうだ。
「空元気か?」
「そっくりそのままお返ししますわ」
こちらの体力が尽きるのが先か、エリシアの魔力が尽きるのが先か。エリシアに斬りかからんと地面を蹴り、駆ける。炎と土塊の攻撃を掻い潜り、ようやく剣の範囲内に彼女を捕らえた、けれど。ジリ貧でもさすがは稀代の魔法使い。ゴーレムを巧みに操ってシルビオを捕らえ、地面に叩きつける。骨が軋み、「ぐっ……」と口から呻きと血が溢れた。
「さようなら、皇弟殿下」
ゴーレムに潰されるシルビオのところまで近寄り、乱れた白金の髪を耳にかけるエリシア。眼前には鈍器のような土塊が迫っている。「殿下!」とリオンが叫ぶ声が遠い。皇宮魔術師の魔法も間に合わないだろう。これで終わりか、と一種の諦念を覚え、瞳を閉じた瞬間だった。
「エリシアもうやめて!」
戦場に響いたのは、聞きたくてたまらなかった声だった。