百十一は思う。ある意味、難攻不落だと。
グラスに手を添えて、正二との思い出を微かにたどる。
同窓会で誰にも声をかけられなかった2名の男女が、たまたま意気投合したあの日の思い出。まぶたを下ろし、記憶の彼方へとフェードアウトさせる。
「私が無理に正社員をすすめたのが駄目だったのだと思います。もっと、正二自身を尊重して、認めてあげればよかったのかなあと。反省しました。」
多様性といわれる時代に、ただ自分が結婚を焦っていたからといって相手の働き方を変えていいわけじゃない。
正二には正二なりの働き方があったのかもしれない。
「越名さん、それマジで言ってんの?」
「え……?」
目の前の糸藤課長が真顔で私に迫る。
「どう考えたって向こうが100パー悪いに決まってんじゃん! ただのヒモだよヒモ!」
「そうですよ越名さん! 慰謝料請求して当然ですよ! てか4年も同棲してて結婚間際に浮気なんて男の恥ですよ恥!」
「お、高吉いいこというねえ〜。」
「課長、僕はなにがあっても浮気なんてしませんからね? 課長一筋ですから!」
糸藤課長と高吉さんが、私のグラスにビールを注いでくれる。
他のメンバーも私の味方になってくれているみたい。自分を元気づけようとしてくれているのが実感できる。
なぜだろう。急に胸の奥が軽くなったように感じる。正二のこと人に話したらすっきりした。
今日思い切ってここに来て、よかった―――。
「めでたしめでたし、じゃねえんだわ。」
「へ? なぜ百十一さんがここに?!」
気がつけば駅の改札まで来ていた。
大きな百十一さんが、私の重い鞄を持ち、私の腕を支えてくれている。「重い〜重い〜♪ 越名の脳ミソ大容量でクソ重い〜♫」と歌いながら。
「私、もしかして飲み過ぎちゃいましたか?」
「うん。それはそれは気持ちよさそうに。」
鞄を受取り、頭を下げる。
「うなじより顔見せて。」
「お手数おかけしました。」
お礼を伝えたところでICカードを取り出した。
「あのさあ越名。」
「はい。なんでしょう百十一さん。」
「なんかかわいい顔してて惚れそう。」
「そうですか。」
「打ち解けられてよかったね。」
「……失礼します。」
ICカードをかざすタイミングを探した。
浮気されて女としてのプライドを喪失したばかりの私は、つい踊らされそうになってしまった。
もしかして、私が皆と普通に話せるよう、研修中にわざと質問したの?
今の飲み会だって、私のプライバシーを話せば、話題のネタにもなるし打ち解けられるし……。全部私のため?
ほだされそうな自分の気持ちに鍵をかける。
百十一さんが実は“いい人”だとしても、“いい人”止まりで事なきを得られればそれでいい。これは賭けゲームの延長なのだから、きっとそれでいいはず。
滞りなくICカードをかざし、改札へと入っていった。
久々の飲み会、楽しかったなあ。
次の日、いつものように始業1時間前に出社。昨日の夜、きちんと二日酔い防止の薬を呑んだおかげでルーティーンを死守できた。
オフィスビルのエレベーターに乗り込めば、向こうから走って来る人物が見えた。
「すみません! 乗ります!」
「ゆっくりで大丈夫ですよ。待ってますから。」
うちの会社はテナントビルの6階に位置する。他の会社も入っており、こうして他社の人間と乗り合わせるのは日課だ。
「って越名か! おはよう。」
「真木先輩。おはようございます。」
チャコールグレーのスーツに身を包む真木瑛介先輩は、私の高校時代の先輩。生徒会で真木先輩が生徒会長、私が副会長をしていた。
走って来たのにスマートな立ちふるまいは変わらず。すぐにスーツの襟とネクタイを整えた先輩。笑顔でお礼を伝えてくれた。
責任感と統率力のある持ち前の性格で、今では行政書士事務所で行政書士として働いている。
先輩の事務所のある9階を押した。