勇者は魔王と結婚しました
14
「王城だ……」
一瞬でたどり着いた王城を見上げ、ポカンと口を開けてしまう。国王からの勅命を受けたのはたった数ヶ月前のはずなのに、もっと昔のことのように感じてしまう。目に映る空は透き通るほどに晴れ渡っていて、立ち込めていた暗雲が消え失せている。いつ消えたのかはわからないけれど、ニグラスが言っていたことは本当だったらしい。守護の力を宿すエメリにはわからないけれど、ちらほらと視界に映る人たちが普通にしているところを見るに、瘴気が流れ込んでいるわけでもなさそうだ。出立時より平和になっていそうな王国に、ほっと胸を撫で下ろした。
「おい、お前! どこから現れた!?」
「あ……」
どこからともなく現れた上、王城をぼんやり眺めていたのがよっぽど不審に映ったのだろう。警戒した様子の衛兵に声をかけられた。どう説明したものか、勇者だと言って伝わるのだろうか。「えっと……」と言葉を探していると、「エメリ?」と背後から名前を呼ばれた。びくり、と大袈裟に肩が跳ねる。誰に声をかけられたのか、振り向くまでもない。
「お父さん……」
「やはりエメリか! 帰ってきたということは、ついに魔王を討伐したのか!?」
弾んだ声の父親はエメリの肩をポンポンと叩く。数ヶ月ぶりに黒い森から戻ってきた娘に対する第一声は、魔王討伐の成否確認だった。わかっていたことだけれど、労いや無事を喜ぶ言葉ではないことがうっすらと虚しい。「これは私の娘で当代の勇者だ」と衛兵に説明する父親は、王城に頻繁に足を運んでいるのだろうか。ずいぶんと態度が気安い。先を歩く父親の後をついて、王城の門を潜った。見覚えのある廊下は、玉座の間に続いている。
「そういえば、手紙のあれはどういうつもりだ?」
「手紙のあれ、とは……」
「魔王と結婚しただのなんだのと世迷言が書かれてあったが」
まさか本気でそう言っているわけであるまいな、と詰問するような口調の父親の声音は冷たい。手紙は読んでくれたようだけれど、やはり父親には一つも響かなかったらしい。「魔王なんぞに絆されるとは、お前に勇者の自覚はあるのか?」と呟く父親は、エメリの方を見向きもしない。ずんずんと置いていくような速さで進む後ろ姿を必死に追いかけるエメリは、黙ったままだ。今、何を言ったところできっとこの人には伝わらないし、頭ごなしに全て否定されて終わるのだろう。十九年もこの人の娘をやってきたのだ、それぐらいわかる。
「お前、何も手にしていないが魔王の首はどうした?」
「えっと……」
「まあいい。陛下の御前で全て話してもらうぞ」
エメリの話を何一つとして聞かないところは、数ヶ月前から変わらない。十九年ずっとそうだったのに、まるで初めてそんな仕打ちを受けたかのように動揺してしまった。魔王城では目を見て話を聞いてもらえるのが当たり前だったからかもしれない。心臓のあたりに隙間風が吹き荒ぶような感覚を覚える。前を歩く父親の歩みは淀みない。このまま着いていくのは果たして正しいのだろうか、そう頭によぎった。
*
玉座の間には、出立時と同じようにふんぞり帰った国王がいた。側には側近と護衛の騎士が控えている。跪きながら腰に提げていた短剣を置くのを、父親は凝視している。勇者の剣はどうしたと尋ねたいのがよくわかったけれど、国王の御前だからだろう。何も言わなかった。「面をあげよ」との言葉に従い、顔を上げる。「よくぞ帰った、勇者エメリ」と形だけの労いに、「ありがたきお言葉」とだけ返した。国王との謁見は何度か経験があるけれど、慣れているわけではない。感情の見えない目に臆していると、国王は威厳たっぷりに口を開いた。
「そなたには聞きたいことが山とある」
「……はい」
「まず、魔王の首はどうした?」
びく、と肩が跳ねる。国王も父親も、エメリに望んでいるのは魔王の首を持ち帰ることだけのようだ。左手を握りしめると、包帯の下の傷が痛む。緊張を紛らわせるにはちょうどいい痛みかもしれない。息を吸って吐き、薬指の指輪に触れる。どうにか自らを奮い立たせ、口を開いた。
「ありません」
「なんだと?」
エメリの言葉に、父親だけでなく玉座の間全体がざわつく。エメリが送った手紙は、どのぐらいの人の目に触れたのだろう。魔王討伐の命は取り下げて欲しいとお願いしたことは、伝わっていなかったのだろうか。
「余は、魔王討伐を命じたはずだが?」
「はい。ですから、その命を取り下げていただきたいと手紙に認めました」
「ああ、あのふざけた手紙か……」
呆れたように息を吐く国王。読んだ上で、エメリの意思は退けられてしまったらしい。「そなたが魔王と結婚した、などと書いてあったな」と、鼻で笑うように告げる国王に、玉座の間はさらにざわめく。どうやら城の大半の人間は手紙を読んでいなかったようだ。
「魔王がこちらに危害を加えるつもりがないだの、討伐の命令は取り下げて欲しいだのと……よくもまあそんなことを書けたものだ」
「ですが陛下。実際に私が黒い森にいた数ヶ月で害されたことは一度も……」
「くどい」
ピシャリ、と跳ね除けるような国王の口調に思わず怯んでしまう。「魔王を……魔族を野放しにして何の利益がある? 黒い森から出て我が国を侵略してこないとどうして言い切れる?」との言葉は、確かに正論だ。ニグラスに王国を滅ぼす気はなくても、次の魔王が同じとは限らない。
「けれど……それで魔王を討ったところで解決するとは思えません。現在の魔王を倒したところで、いずれまた次の魔王が生まれます。王国に魔族を根絶やしにするだけの兵力がないことを鑑みれば、王国に手は出さないと言っている今の魔王を殺すのは得策とは思えません」
王国と黒い森の――人間と魔族の戦いはきっとそうそう決着がつくものではない。ニグラスを討伐したところで、数十年後には新たな魔王が生まれる。新たな魔王は、黒い森の範囲を広げることができるかも知れないし、瘴気を王国中に蔓延させるかもしれない。今度こそ、王国は魔族の支配下に置かれるかもしれない。そのとき守護の力を宿す存在がいなければ、王国はあっという間に蹂躙されてしまうだろう。
エメリの言葉に、もはや喧騒と言ってもいいほどにざわつく。勇者が魔王を倒さなかったことは、百年前に角だけを持ち帰った出来事以来だけれど、きっとその歴史は語り継がれていない。今この場にいる人々にとってエメリは、前代未聞の勇者なのだ。
「お前っ! お前はっ! 勇者としての自覚がないのか!?」
「痛っ……」
喧騒を破ったのはエメリの父親だった。今まで唯々諾々と従うだけだった娘が、国王の御前で勇者としてあるまじきことを語っているのがよほど衝撃的だったのだろう。足をもつれさせながら立ち上がると、エメリの胸ぐらを掴む。首を締め上げられているようで、息が苦しい。唾を飛ばす勢いで、「お前は百年ぶりに生まれた守護の力を宿す存在なんだぞ!? 一族の悲願を果たそうという気は無いのか!?」と捲し立てるのを見て、エメリは理解した。父親はきっと、百年前の勇者が褒美をもらえなかったことも、そのせいで一族が没落の一途を辿ったことも知っている。だから、ほとんど同じ轍を踏もうとしているエメリのことが許せないのだ。一族の栄華に対する妄執を、今も捨てきれないから。
「呆れたものだ」
張り上げているわけでもないのに、侮蔑するような国王の冷たい口調は玉座の間を静まり返らせる。慌ててエメリの胸ぐらから手を離した父親は、改めて国王に向けて跪いた。「だから、今いる魔王の存在を見逃せと? 馬鹿馬鹿しい」と国王は、聞き分けのない子供を押さえつけるような口調で続ける。
「そんなことをして他国に攻め入る隙を与えたらどうする。示しがつかないではないか」
「他国への、示しなんて……」
――そんなの、どうだっていい。
思わず口から飛び出そうになったのを寸前で堪える。政治が自国のことだけを考えていればいいものではない、ということはわかっている。けれど、他国への見栄のために魔王討伐に向かわせるのはあまりにエメリを馬鹿にしているように思えた。エメリは国の平和のために魔王討伐に向かったのであって、他国に示しをつけるために黒い森へ向かったのではないのだ。
「そんなことのために、勇者を単身黒い森に送り込み続けるのですか? 必ず勝てる保証なんてないのに?」
「その口の聞き方はなんだ!? 私たちに領地や屋敷があるのはどうしてだかわかっているのか? 全ては魔王討伐の代償として得たものだぞ!」
エメリの質問に国王が答える前に、父親が怒り狂ったように吠える。そんなこと、わかっている。十分すぎるぐらいに理解している。エメリが衣食住不自由なく、曲がりなりにも貴族令嬢として生きてこられたのは、歴代の勇者が魔王を討伐してきたからこそだ。けれど、それでも。
「だとしても、死ぬかもしれないリスクを負わせてまで、戦わせ続けるなんて……! そんなの、生贄同然じゃないですか!」
「それが、そなたたち一族の責務であろう?」
「え……」
絶句するエメリの隣で、父親はうんうんと頷いている。何か得体の知れないものが目の前にいるような気持ち悪さ。国王の発言に誰もざわつかず、静かに受け止めているこの場が気持ち悪い。勇者の一族は国の英雄などではなく、生贄として囲い込まれた一族だったのだろうか。首を持ち帰らなければ歴史から抹消し、勝ち目がないとわかっていたとしても討伐に向かわせる。倒しても倒しても倒しても倒しても魔王は生まれるから、その度に勇者を黒い森へと単身乗り込ませる。何度も何度も何度も何度も。
――馬鹿馬鹿しい。
交渉の余地があると思った考えが、いかに甘かったかを思い知る。懇願して説得すれば聞き入れてもらえると思っていたのが愚かだった。国王は勇者の発言にまともに取り合う気はなく、魔王の首を取ってくることにしか価値を見出していなかったのだ。話なんて、最初から通じるはずもなかった。
跪いたままのエメリは、ゆっくりと立ち上がる。左手に巻かれた包帯にそっと手を当て、次いで指輪に触れて、心の内で謝る。エメリに国王との交渉は土台無理な話だった。最初から交渉する気すら相手にはなかったのだ。それなら、次善の策を取るしかないだろう。
「マルコ、来て」
呟くと同時に、ぶわりと風が舞う。エメリの前に現れたのは、獣の耳と翼の生えた魔族――マルコだ。
一瞬でたどり着いた王城を見上げ、ポカンと口を開けてしまう。国王からの勅命を受けたのはたった数ヶ月前のはずなのに、もっと昔のことのように感じてしまう。目に映る空は透き通るほどに晴れ渡っていて、立ち込めていた暗雲が消え失せている。いつ消えたのかはわからないけれど、ニグラスが言っていたことは本当だったらしい。守護の力を宿すエメリにはわからないけれど、ちらほらと視界に映る人たちが普通にしているところを見るに、瘴気が流れ込んでいるわけでもなさそうだ。出立時より平和になっていそうな王国に、ほっと胸を撫で下ろした。
「おい、お前! どこから現れた!?」
「あ……」
どこからともなく現れた上、王城をぼんやり眺めていたのがよっぽど不審に映ったのだろう。警戒した様子の衛兵に声をかけられた。どう説明したものか、勇者だと言って伝わるのだろうか。「えっと……」と言葉を探していると、「エメリ?」と背後から名前を呼ばれた。びくり、と大袈裟に肩が跳ねる。誰に声をかけられたのか、振り向くまでもない。
「お父さん……」
「やはりエメリか! 帰ってきたということは、ついに魔王を討伐したのか!?」
弾んだ声の父親はエメリの肩をポンポンと叩く。数ヶ月ぶりに黒い森から戻ってきた娘に対する第一声は、魔王討伐の成否確認だった。わかっていたことだけれど、労いや無事を喜ぶ言葉ではないことがうっすらと虚しい。「これは私の娘で当代の勇者だ」と衛兵に説明する父親は、王城に頻繁に足を運んでいるのだろうか。ずいぶんと態度が気安い。先を歩く父親の後をついて、王城の門を潜った。見覚えのある廊下は、玉座の間に続いている。
「そういえば、手紙のあれはどういうつもりだ?」
「手紙のあれ、とは……」
「魔王と結婚しただのなんだのと世迷言が書かれてあったが」
まさか本気でそう言っているわけであるまいな、と詰問するような口調の父親の声音は冷たい。手紙は読んでくれたようだけれど、やはり父親には一つも響かなかったらしい。「魔王なんぞに絆されるとは、お前に勇者の自覚はあるのか?」と呟く父親は、エメリの方を見向きもしない。ずんずんと置いていくような速さで進む後ろ姿を必死に追いかけるエメリは、黙ったままだ。今、何を言ったところできっとこの人には伝わらないし、頭ごなしに全て否定されて終わるのだろう。十九年もこの人の娘をやってきたのだ、それぐらいわかる。
「お前、何も手にしていないが魔王の首はどうした?」
「えっと……」
「まあいい。陛下の御前で全て話してもらうぞ」
エメリの話を何一つとして聞かないところは、数ヶ月前から変わらない。十九年ずっとそうだったのに、まるで初めてそんな仕打ちを受けたかのように動揺してしまった。魔王城では目を見て話を聞いてもらえるのが当たり前だったからかもしれない。心臓のあたりに隙間風が吹き荒ぶような感覚を覚える。前を歩く父親の歩みは淀みない。このまま着いていくのは果たして正しいのだろうか、そう頭によぎった。
*
玉座の間には、出立時と同じようにふんぞり帰った国王がいた。側には側近と護衛の騎士が控えている。跪きながら腰に提げていた短剣を置くのを、父親は凝視している。勇者の剣はどうしたと尋ねたいのがよくわかったけれど、国王の御前だからだろう。何も言わなかった。「面をあげよ」との言葉に従い、顔を上げる。「よくぞ帰った、勇者エメリ」と形だけの労いに、「ありがたきお言葉」とだけ返した。国王との謁見は何度か経験があるけれど、慣れているわけではない。感情の見えない目に臆していると、国王は威厳たっぷりに口を開いた。
「そなたには聞きたいことが山とある」
「……はい」
「まず、魔王の首はどうした?」
びく、と肩が跳ねる。国王も父親も、エメリに望んでいるのは魔王の首を持ち帰ることだけのようだ。左手を握りしめると、包帯の下の傷が痛む。緊張を紛らわせるにはちょうどいい痛みかもしれない。息を吸って吐き、薬指の指輪に触れる。どうにか自らを奮い立たせ、口を開いた。
「ありません」
「なんだと?」
エメリの言葉に、父親だけでなく玉座の間全体がざわつく。エメリが送った手紙は、どのぐらいの人の目に触れたのだろう。魔王討伐の命は取り下げて欲しいとお願いしたことは、伝わっていなかったのだろうか。
「余は、魔王討伐を命じたはずだが?」
「はい。ですから、その命を取り下げていただきたいと手紙に認めました」
「ああ、あのふざけた手紙か……」
呆れたように息を吐く国王。読んだ上で、エメリの意思は退けられてしまったらしい。「そなたが魔王と結婚した、などと書いてあったな」と、鼻で笑うように告げる国王に、玉座の間はさらにざわめく。どうやら城の大半の人間は手紙を読んでいなかったようだ。
「魔王がこちらに危害を加えるつもりがないだの、討伐の命令は取り下げて欲しいだのと……よくもまあそんなことを書けたものだ」
「ですが陛下。実際に私が黒い森にいた数ヶ月で害されたことは一度も……」
「くどい」
ピシャリ、と跳ね除けるような国王の口調に思わず怯んでしまう。「魔王を……魔族を野放しにして何の利益がある? 黒い森から出て我が国を侵略してこないとどうして言い切れる?」との言葉は、確かに正論だ。ニグラスに王国を滅ぼす気はなくても、次の魔王が同じとは限らない。
「けれど……それで魔王を討ったところで解決するとは思えません。現在の魔王を倒したところで、いずれまた次の魔王が生まれます。王国に魔族を根絶やしにするだけの兵力がないことを鑑みれば、王国に手は出さないと言っている今の魔王を殺すのは得策とは思えません」
王国と黒い森の――人間と魔族の戦いはきっとそうそう決着がつくものではない。ニグラスを討伐したところで、数十年後には新たな魔王が生まれる。新たな魔王は、黒い森の範囲を広げることができるかも知れないし、瘴気を王国中に蔓延させるかもしれない。今度こそ、王国は魔族の支配下に置かれるかもしれない。そのとき守護の力を宿す存在がいなければ、王国はあっという間に蹂躙されてしまうだろう。
エメリの言葉に、もはや喧騒と言ってもいいほどにざわつく。勇者が魔王を倒さなかったことは、百年前に角だけを持ち帰った出来事以来だけれど、きっとその歴史は語り継がれていない。今この場にいる人々にとってエメリは、前代未聞の勇者なのだ。
「お前っ! お前はっ! 勇者としての自覚がないのか!?」
「痛っ……」
喧騒を破ったのはエメリの父親だった。今まで唯々諾々と従うだけだった娘が、国王の御前で勇者としてあるまじきことを語っているのがよほど衝撃的だったのだろう。足をもつれさせながら立ち上がると、エメリの胸ぐらを掴む。首を締め上げられているようで、息が苦しい。唾を飛ばす勢いで、「お前は百年ぶりに生まれた守護の力を宿す存在なんだぞ!? 一族の悲願を果たそうという気は無いのか!?」と捲し立てるのを見て、エメリは理解した。父親はきっと、百年前の勇者が褒美をもらえなかったことも、そのせいで一族が没落の一途を辿ったことも知っている。だから、ほとんど同じ轍を踏もうとしているエメリのことが許せないのだ。一族の栄華に対する妄執を、今も捨てきれないから。
「呆れたものだ」
張り上げているわけでもないのに、侮蔑するような国王の冷たい口調は玉座の間を静まり返らせる。慌ててエメリの胸ぐらから手を離した父親は、改めて国王に向けて跪いた。「だから、今いる魔王の存在を見逃せと? 馬鹿馬鹿しい」と国王は、聞き分けのない子供を押さえつけるような口調で続ける。
「そんなことをして他国に攻め入る隙を与えたらどうする。示しがつかないではないか」
「他国への、示しなんて……」
――そんなの、どうだっていい。
思わず口から飛び出そうになったのを寸前で堪える。政治が自国のことだけを考えていればいいものではない、ということはわかっている。けれど、他国への見栄のために魔王討伐に向かわせるのはあまりにエメリを馬鹿にしているように思えた。エメリは国の平和のために魔王討伐に向かったのであって、他国に示しをつけるために黒い森へ向かったのではないのだ。
「そんなことのために、勇者を単身黒い森に送り込み続けるのですか? 必ず勝てる保証なんてないのに?」
「その口の聞き方はなんだ!? 私たちに領地や屋敷があるのはどうしてだかわかっているのか? 全ては魔王討伐の代償として得たものだぞ!」
エメリの質問に国王が答える前に、父親が怒り狂ったように吠える。そんなこと、わかっている。十分すぎるぐらいに理解している。エメリが衣食住不自由なく、曲がりなりにも貴族令嬢として生きてこられたのは、歴代の勇者が魔王を討伐してきたからこそだ。けれど、それでも。
「だとしても、死ぬかもしれないリスクを負わせてまで、戦わせ続けるなんて……! そんなの、生贄同然じゃないですか!」
「それが、そなたたち一族の責務であろう?」
「え……」
絶句するエメリの隣で、父親はうんうんと頷いている。何か得体の知れないものが目の前にいるような気持ち悪さ。国王の発言に誰もざわつかず、静かに受け止めているこの場が気持ち悪い。勇者の一族は国の英雄などではなく、生贄として囲い込まれた一族だったのだろうか。首を持ち帰らなければ歴史から抹消し、勝ち目がないとわかっていたとしても討伐に向かわせる。倒しても倒しても倒しても倒しても魔王は生まれるから、その度に勇者を黒い森へと単身乗り込ませる。何度も何度も何度も何度も。
――馬鹿馬鹿しい。
交渉の余地があると思った考えが、いかに甘かったかを思い知る。懇願して説得すれば聞き入れてもらえると思っていたのが愚かだった。国王は勇者の発言にまともに取り合う気はなく、魔王の首を取ってくることにしか価値を見出していなかったのだ。話なんて、最初から通じるはずもなかった。
跪いたままのエメリは、ゆっくりと立ち上がる。左手に巻かれた包帯にそっと手を当て、次いで指輪に触れて、心の内で謝る。エメリに国王との交渉は土台無理な話だった。最初から交渉する気すら相手にはなかったのだ。それなら、次善の策を取るしかないだろう。
「マルコ、来て」
呟くと同時に、ぶわりと風が舞う。エメリの前に現れたのは、獣の耳と翼の生えた魔族――マルコだ。