夜と最後の夏休み

06.筆

 七夕祭りの前日。僕は美海と詩音と三人で美海の家の縁側で筆を持って悩んでいた。


「んーやっぱ南十字星かな。みずへび座とかみなみのさんかく座も捨てがたいんだけど」

「なにそれ呪文?」


 手と顔が墨だらけになっている詩音が首をかしげた。


「なんでそんな汚くなるんだよ。美海、ぞうきん貸して」

「はい」

「ちょ、痛い! 乱暴! 暴力反対! 女の子の顔をぞうきんで拭くな!」


 がしがしと詩音の顔や手を拭いたら、ぎゃんぎゃん文句が飛び出た。


「文句言う前に、もう少し綺麗にやんなよ。詩音が汚くすると美海の家まで汚くなるだろ」

「それはごめんだけどさあ」


 ぶつぶつ言いながら、詩音は手を拭きなおして筆を持つ。




 明日は七夕祭り。七月七日ではないけれど、旧暦だか地域的ななんとかだかで毎年七月の終わりに開催されている。

 この小崎町では七夕祭りの日に河に願い事を書いた紙を流すと、それが叶うという風習がある。紙は水に溶けるという和紙で、柔らかいので筆と墨で書かなくてはいけない。


 というわけで三人で集まって願い事を紙に書いていた。僕の願いは、この辺りからは見えない星座を見られますように。夏の星座の代表格である南十字星を一度は自分で見てみたい。日本国内でも、沖縄の端まで行けば見えるらしいし。

 洗濯物を綺麗にたためますように……も考えたけど、かっこ悪すぎてやめた。あれはコツをつかめればきれいできるはず。たぶん。もうちょっとがんばれば。


「詩音も書けた」

「なに書いたの? 受験?」


 のぞき込んだ美海が目をぱちくりさせる。


「うん。詩音ねえ、中学受験するからそれに受かりますようにって」

「塾とかは?」

「夜にオンラインで受けてるよ」


 すごい都会の子だ。美海が丸くて大きい目をさらにまん丸くする。でも僕も驚いた。小崎町の小学生にそんな選択肢はない。


「うーん。詩音の地元の中学ってあんまり治安が良くないんだよね。だからクラスの半分くらいは私立に行くんだ」

「へー。ちょっと想像つかない」


 美海が遠い目になってしまった。

 小崎町の小学校の子供は中学生になると隣町の大戸ノ町の中学校に行く。朝スクールバスが小崎町小学校の近くまでやってきて、みんなでそれに乗って中学校まで行くのだ。

 大戸ノ町中学校は各学年に四つか五つのクラスがあるらしく常に一クラスでやってきた僕にはピンとこない。たぶん美海もそうだろう。

「美海は?」

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