詩音と海と温かいもの
 匠海さんの引っ越しの前日、夜が遊びに来て「詩音、ちょっといい?」と誘われた。

 夜の家の縁側で二人で並んで座る。


「なあに?」

「詩音も匠海さんと一緒に戻る?」

「ううん。来週の半ばくらいに戻るよ。匠海さんが迎えに来てくれるって言ってた」

「そっか、良かった」


 夜は穏やかに笑って空を見ていた。

 昔は同じくらいの身長だったのに、いつの間にか頭一つ分くらい夜の方が大きくなっていた。そのうち匠海さんくらい大きくなるのかも。


「詩音、また夏においでよ。遊園地行こう」

「えー、ここの遊園地、絶叫系が意外と激しいし、お化け屋敷がすごい怖いんだもん」

「それで怖がる詩音が面白いんじゃん。それに僕一人で美海に付き合うの大変だしさ」


 夜が笑った。

 夜は、いつからこんなに優しい男の子になったんだろう。

 きっと美海といるうちに、変わったんだろうな。


「ありがとう、夜。夏になったらまた来るね」

「うん。詩音が来るのを楽しみにしてる。美海だって待ってるし」


 夜は言葉を切って、ニヤッと笑った。


「匠海さんは詩音のこと気に入ってるから、来たら喜ぶよ」

「そうかなあ。迷惑をかけてばかりだと思う」

「詩音は男心がわかってない」


 男心?

 意味がわからなくて夜の顔を覗き込んだら、目の前に手が差し出された。

 顔を上げたら匠海さんがムスッとした顔で立っていて、その後ろで美海が笑っていた。


「夜、浮気か?」

「僕が美海以外の女の子に興味ないの知ってるくせに」

「詩音ちゃん、何にもされてない?」


 首を横に振ろうとしたら、夜が私の腕を引っ張った。後に引っくり返りそうだったけど、夜が支えてくれた。

 顔が近づいて、耳に息がかかった。


「詩音は匠海さんのこと好き?」

「え、うん」

「なら、僕が言ったこと、ちゃんと考えて。詩音が思うよりも、僕も美海も匠海さんも、詩音のこと好きだよ」

「よーるー!」

「あは、ごめんなさい、お義兄さん」

「うるせえ!」


 夜が離れて、今度は匠海さんに腕を引かれた。

 匠海さんは眉間にシワを寄せて夜を睨んでいるし、美海はお腹を抱えて笑っていた。


「お兄ちゃん。私、夜とデートするから詩音と帰っててよ。詩音、晩ごはんは焼き魚と味噌汁がいいな」

「そんなんでいいのか?」


 匠海さんが首を傾げた。


「それがいいの。お兄ちゃんが昔よく作ってくれたから、私、それで魚食べられるようになったんだ」


 美海の言葉に、匠海さんが唇を噛んだ。

 夜はやっぱり嬉しそうにしていた。


「僕も夕方手伝いに行くね。師匠に教わる最後のチャンスだから」

「うるせ、破門だ破門! もうお前に教えることなんかねえよ」


 匠海さんは私の手を取って、そのまま歩き出した。
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