定時退社の主任には秘密がある

10話(1/2)

 つつがなく、プレゼン当日を迎えた。
 時計を見る。取引先の来社予定は十四時予定で、現在は短針は十三時を指している。
(よし、今日は頑張ろう。ベストを尽くすんだ)
 柚亜は準備をするために会議室へ向かった。
 ペットボトルのお茶と、菓子と、この日のために作った試し書きセット。これらを各席に置いて準備はOK。
「あ、いた。中村さん!」
 東海林が扉から顔を出す。
「主任」
「最終確認したいから印刷したプレゼンデータもらえますか? 誤字とかは最後まで油断しちゃいけないので」
「はい」
 パソコンを操作し、コピー機にデータを送る。
「じゃあ僕、印刷取りに行ってきます。……プレゼン、期待してますよ。隣にちゃんといますから」
 照れくさそうにそう言い捨て、柚亜をその場に置いて東海林は去っていく。柚亜は少しの間惚けた後、移ったように顔を赤くした。
(主任、照れることあるんだ……!)
 少しでも知らないことを知れたことが嬉しい。柚亜は胸が熱くなるような感覚を覚える。今までの恋では、相手の知らない顔を知って嬉しくなることなんてなかった。いつも、流されるままにただ言うことを聞いて過ごす。そんな性格が東海林と過ごして少し変わったならそれほど素晴らしいことはない。東海林がいなくなっても柚亜の中で残ったものはあると言うことだから。
(期待してるって。応えられるように頑張ろう)
 準備が終わり、デスクに戻ると内線が鳴る。取引先一行がエントランスに到着したと言う連絡だった。柚亜は東海林と共に、エントランスに取引先を迎えにいく。
「遠い所弊社までお越しくださってありがとうございます。わたくし、この度紹介を担当させていただく中村と申します」
 名刺を差し出すと、五十代後半くらいの男性、今回の代表ーー渡された名刺によると三峰と言うらしいーーは申し訳なさそうに口を開く。
「ああ、東海林くんから聞いているよ。申し訳ない、今日はこの後別の取引先に緊急で行かなければならなくて、一時間も時間が取れないんだが」
「プレゼン自体は一般的な時間で終わりますのでご心配には及びません」
 三峰は明らかに胸を撫で下ろす。後ろに控えた部下らしい社員も険しい顔を解いていた。
「よかった。では、今日はよろしく頼む」
「はい。お部屋にご案内いたしますね」
 エレベーターのボタンを押し、下降を待つ。その間、三峰が親しそうに東海林に話しかけた。
「東海林くん、今日はいつものはあるのか?」
「菓子ですね。中村が選んだものを用意してします」
「信頼している東海林くんに選んで欲しかった」
 柚亜は心臓を掴まれたように緊張する。東海林はそれになんと回答するのだろう。柚亜はエレベーターを操作しているから、後ろを振り向けず顔を見ることはできない。だけども東海林は優しい声色で続ける。
「中村は一番信頼している部下です。中村のピックアップで問題ありません」
 それを聞いた柚亜は眉間が熱くなるようだった。短い言葉の中にはどんな想いが混ざっているのだろう。思慮の浅い柚亜には想像もつかない。だけど、もし願えるならそれに柚亜を少しでも特別に思う気持ちが含まれますように、といるかもわからない神に短く願った。
 エレベーターを降り、会議室に入る。三峰は席に着くと、目を細めて笑みを浮かべた。
「中村さんだったか」
「はい」
「君はセンスがいいな。最初は女性がプレゼンをすると聞いて不安だったが、これからも菓子は頼むよ」
「お褒めいただき光栄です」
 柚亜は笑いかけるが、内心は表情を崩さなかった。三峰が浮かべたものは前職で腐るほど見た笑顔だ。三峰が言いたいのはこうだ。「女は茶だけを担当してろ」「お前のプレゼンは期待してない」舐められていると確信する。
 ひっくり返してやりたいと思った。舐めてかかっているその面を。しかし、と不安になる。自分は上手くできるのだろうか。もし何かトラブルが起きてしまったりしたら、平常心で乗り切れる自信がない。
「では、プレゼンの方を始めます」
 先方が席に座ったところで、東海林がプロジェクターに資料を映す。
「まず、今回御社にご提案したいのが、弊社の新商品です。これは今までかかっていた資材やコストを三十パーセントカットし、エコの観点からも……」
 時間が限られているとは言え、早口になって伝わらなかったら意味がない。緊張を抑え、ゆっくり発言することを意識しパソコンに表示された原稿を読み上げる。
「お手元にあるのがその新作になります。ペンを持ちなぞり書きをしてみてください。書き心地が従来より格段によくなっていることがわかると思います」
 三峰の方を見る。彼は少しペンを取った後試し書きを数秒しペンを置いた。それから紙を見ることもなく、菓子の包装紙を音を立てて開ける。同席している先方の男性社員が少し引き攣った顔をしていた。
「そちらの茶菓子の下に敷いてあるのも新商品です。印刷の美しさがよくわかると思います。こちらは……」
 三峰は資料を一瞥もしていない。柚亜は泣き出したくなるほど虚しい気持ちになる。頑張って準備したんだけどな。女だってだけでこんなに舐められるのか。
(ああ……全然響いてない……)
 プレゼンは失敗。
 それだけが結果だった。ここから巻き返す方法なんてあるわけない。やっぱり自分では力不足だったんだ。
 目の前が真っ暗になるみたいだった。嫌になっちゃうな、自重気味に笑みを浮かべた時だった。
 バチン、と音がして照明が落ちた。
「え、停電⁉︎」
 計画停電などの情報はなかったはずだ。だとしたらまずい。柚亜は後ろを振り返る。プロジェクターも電源が落ちて白幕には何も写っていない。
「……プレゼンは中止かね?」
 三峰がため息混じりに言った。
「プロジェクターが使えないから資料は映せない。パソコンは小さいからこちらからはほとんど見えないし、何より君は原稿がないとプレゼンすら出来ないようだ。ーー時間が押してるんだ。今回の導入計画は白紙にーー」
 三峰が席を立つ。
(どうしよう……!)
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