月色の部屋で、第三夜伽は皇子の愛を待つ
第三話 あなたなしでは
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桐杏は自分の家に戻ると、忘れないうちに、昨晩刻めなかった縦線を石壁に刻んだ。皇子がどんな人物なのか知った後では、この暮らしにそれまでのような絶望感はない。
「寧丸さま……」
桐杏はひとりぼっちの部屋で、寧丸のことをずっと考えていた。ひと言であらわすならば、夢見心地である。桐杏は彼と会えない時間を長く感じていた。それは退屈な時間でもある。強制的にやらされている作業で気を紛らわした。
寧丸は皇族の良心だ。心は気高く、見目は麗しい。そんな彼に自分が気を許し、心安らぐのもむりはないと、桐杏は思う。
ここで安全に過ごせていることを、故郷の家族に伝えたかった。しかし、伝えるすべはない。
「……」
桐杏はその日の作業を終えると、目を閉じて、曲作りに集中した。桐杏が曲を作るのはもはや寧丸のためとなっている。彼と出会って感じた思いを音にしたい、そう思っていた。