この空の青を、君は知らない
屋上に足を踏み入れる。
夜風が首筋をかすめて、夏の匂いがほんのりと混ざる。
遠くで、まだ弱く蝉が鳴いている。
少し湿った空気が体にまとわりつくようで、心地いい。
腰を下ろすと、コンクリートに残った昼間の熱がじんわりと背中に伝わってきた。
「もう夏だね」
そう言いながら、天音がそっと隣に座る。
「最近、夏の空って感じになってきたよな」
僕は両手を後ろについて体を少し倒す。
広がる夜空に、昼間の空を重ねる。
「夏の空?」
きょとんとした顔の天音に視線を向ける。
「うん、青くて広くてさ。あと、入道雲とか。
ああいうの見ると、夏だなって思う」
天音は首を少し傾げる。
「青い……?」
「うん。前より、ずっと」
そういうと、天音は僕と同じように手をついて空を見上げ、やがて納得したように小さく頷いた。
「夏の空、か……。
夜も、見えたらいいのにね……」
天音は少し視線を落とし、静かに呟く。
胸の奥に、ほんの少しだけ違和感が残る。
うまく言葉にならない、小さな引っかかり。
けれど、それを探すより先に、僕はまた空を見上げていた。
夜。
夏。
空。
頭の中でゆっくりと言葉を並べる。
静かな屋上に、蝉の声と遠くの車の音がかすかに重なる。
夜風がそっと肩を撫でる。
昼、廊下で見かけたポスターがふっと浮かんだ。
夜空に広がる光。
一瞬だけ、空が眩しくなる景色。
それはきっと、夜に見える夏の空だ。
「天音!あった!」
思わず声が大きくなる。
「な、なに??」
天音がびくっと肩を揺らした。
慌てて声を少し落とす。
「夜に見える、夏の空」
まだよくわかっていない顔の天音に、言葉を続ける。
「一緒に、打ち上げ花火見ない?」
「打ち上げ、花火?」
「ああ、廊下の掲示板で見たんだ。
この病院の近くで、花火大会があるって。
もしかしたら、ここから見えるかもしれない」
言葉を聞くと、天音の目がぱっと明るくなる。
「うん!」
嬉しそうに笑って、ゆっくりと頷いた。
その瞬間。
胸の奥で、トクンと小さく響いた。
夜の空は、さっきよりも少しだけ広く見えた。