月夜の呪われ王子と追放王妃~力のない聖女などいらないと厄介払いしたのをお忘れですか? 辺境の地で幸せを掴みましたので、今さら謝られても戻りません
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 バネッサは茫然自失のまま、宮殿の大ホールから自室に戻った。
 魔獣の血も、焦げた匂いもないのに、背後から今にも襲われる気がしてならない。
 ルーベンから怒号を浴びせられるとは思いもしなかった。ルーベンの味方は、いつだって自分だけだったから。
 扇を握ったまま、震える指先を見下ろした。指の間に微かに光る香油が滲んでいる。どんなに取り繕っても、この震えは止まらない。
 あの女――エミリア。
 その名を心の中で呼ぶと、胸の奥に鈍い痛みが走った。
 モルテン王国でも由緒ある公爵家セラディスの長女として誕生したバネッサは、九歳の誕生日に神殿に預けられた。それは聖女としての位を取るためであり、なにより王族に嫁ぐための第一歩だった。
 いつか自分は王太子妃となり、国民から敬われる存在になる。
 幼いながらも夢見て、神殿での厳しい生活に耐えた。当時十人あまりが一緒に生活をしていたが、全員自分のライバル。皆がしているように仲良しごっこをしている場合ではないと、来る日も来る日もライバルたちよりどうしたら上にいけるかばかり考えていた。
 ときには指導者に媚を売り、祈りの儀式で涙を流すふりもした。信仰など、手段のひとつにすぎなかった。
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