月夜の呪われ王子と追放王妃~力のない聖女などいらないと厄介払いしたのをお忘れですか? 辺境の地で幸せを掴みましたので、今さら謝られても戻りません
 (どんなに弱くても、誰かを癒やすことができるのなら……)

 そんな思いが、冷えた胸の奥で静かに灯る。
 窓の外の森がさらに濃くなり、陽光が木々の枝に遮られはじめた頃、御者が声を上げた。

 「まもなく、ミカエル領に入ります」

 馬のいななきとともに、道がゆるやかに傾斜を下る。
 遠くから吹きつける風が、雪を舞い上げた。
 ミカエル領、通称、封印の谷。人の立ち入りを禁じられた土地は、呪われた王子が隠棲する地でもある。
 王都では幾度か噂を耳にした。

 『彼はもはや人の姿ではない』
 『昼は老人、夜は魔物になる』

 どれも眉唾の話に思えた。だが、誰ひとりとしてその真偽をたしかめた者はいない。
 エミリアは膝の上で手を握りしめた。胸を締めつけられるような感じがしたが、恐怖なのか、それともべつのなにかなのか自分でもわからない。ただ、心の奥で静かに揺れるその気配が、自分を新しい運命へ導いているように思えた。
 やがて馬車が大きく揺れ、速度を落とした。白い霧があたりを覆い、世界の輪郭がぼやけていく。
 御者が馬を止め、低い声で告げる。

 「到着しました」

 扉が開いた瞬間、冷たい風が頬を打つ。雪の匂いが混じる空気の向こう、霧の中に灰色の石の城が見えた
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