あなたとは合わないと思っていたけれど
 契約結婚は武琉が言い出したことだから、生活が上手くいくように自分が譲れるところは譲るのがいいと思っていたからだ。

 ところがいつの間にか、義務感からではなく、帰宅するのが当然だと感じるようになっていた。

 帰宅すると家には灯りが灯り笑顔の香澄が迎えてくれる。リビングには以前とは違いものが増えて生活感が溢れている。武琉は物が少なくすっきりした空間を好むのに、少しも不快だとは思わなかった。賑やかで居心地がよいとすら感じている。

 大きなクッションで香澄がうたた寝している姿は、だらしないどころか可愛く見える。そんな可愛い彼女を見ていると自然に笑みがこぼれた。

 何をするわけでもなく自宅で過ごすなんて、時間の無駄だと思っていた武琉だが、香澄と何をするわけでもなく過ごす時間が心地がよいと感じる。

 それに香澄は武琉の知らなかった楽しみを教えてくれる。今まで目も向けなかったB級映画の楽しみ方も、コーヒーを丁寧に淹れて味わうのも、梅酒を自分で作るということも。

 予想もしていなかったことだが、武琉は香澄との暮らしに満足して楽しんでいる。

 家族サービスなんて自分には到底無理だと思っていたのに、香澄のためにお土産を買い、彼女を喜ばせたいと思うようになっている。
 これが結婚するということなのか。

 契約結婚でも形を作っているうちに、絆のようなものができたのか。香澄に対しての感情が興味から好意になった。自分でも予想していなかったことだが、毎日が楽しくなっていた。

 それなのにここ数日は憂鬱さに気持ちが沈んでいる。なにか納得できないようなモヤモヤした思いが胸中を占めている。

 電車を降りて自宅マンションに向かう。時刻を確認すると午後八時。エレベーターから降りたとき、視線の先に香澄の姿があり、武琉はその場で足を止めた。

 彼女の隣には男性が居た。先日隣室に越してきた、香澄の元同級生北山英二だ。彼はAI関連会社を起業し、どいういう経緯かは知らないが武琉の父とも付き合いがある。武琉も積極的に付き合うべき相手だが、なぜかその気になれなかった。

 今もふたりに声をかけた方がいいと分かっている。そして自然に会話に加わり交流を持つべきだ。頭ではそう分かっているし、いつもの自分ならすぐに声をかけている。けれど……。

 香澄と英二が楽しそうに笑い合っているのを見ると、適切な行動ができない。

 彼女はなかなか他人に気を許さない性格だ。他人とコミュニケーションが取れない訳ではない。だた穏やかな微笑で他人との間に線を引いている。

 武琉に対しても彼女はずっとそんな距離感で接していた。ようやく壁が崩れてきたのは最近になってからだ。
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