あなたとは合わないと思っていたけれど
「慌ただしてく申し訳ない。また今度ゆっくり話そう」
「はい」

 渋谷機長が颯爽と立ち去る。後に続く武琉が香澄のすぐ近くを通り過ぎるとき「いってくる」と囁いた。

 香澄だけに告げられた言葉だ。少しうれしくなって香澄も彼の背中に「いってらっしゃい」告げた。

 しかしその直後に誰かに強く肩をぶつけられて、香澄はふらりとよろめいてしまった。

(痛い……)

「あら、ごめんなさい」

 肩を抑えたのと同時に、謝罪とは程遠い棘がある声がした。

「……蛯名さん」

 彼女は顔色を悪くする香澄をちらりと見遣ってから、先に進んでいる武琉を追いかける。

(今のはわざとだよね)

 普通に歩いていたら、あんなに勢いよくぶつかるはずがない。

 渋谷機長との会話を止めたのも彼女だ。

 おそらく早織は香澄に対して、敵対心を持っているのだろう。それはお見合い話が流れた今でも、武琉に対してまだ恋愛感情があるからだと思う。

(ふたりは同じフライトなんだよね)

 武琉から聞いたスケジュールを思い出す。これからパリに飛び、帰るのは四日後になる。

 ステイ先の自由時間はパイロットとCAが一緒に過ごすこともあると聞く。菜恵が言うにはクルー同士で食事をしたり観光スポットに行くこともあるそうだ。

 胸の奥にモヤモヤしたものが広がった。

(これは嫉妬?)

 とても不快で胸の奥に何かがつっかえているような感覚だ。
(いや、まさか)

 嫉妬なんてするはずがない。武琉と香澄は契約結婚だ。香澄には彼のプライベートに口を挟む資格はない。

 誰と親しくするのかは彼の自由なのだから、そんなことを考える自体が間違っている。

(余計なことを考えないようにしよう)

 香澄は武琉たちとは反対方向に歩き出した。

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