好きって送れなかった

ほんとの声

昼休みが終わっても、教室のざわつきは完全には消えなかった。
休み時間ごとに、机と机の間を漂う小さな声。 

「見た?あのスクショ」「あれって本物?」――

一つ一つは小さくても、寄せ集まれば心葉の耳には重すぎた。
下を向いてノートにペンを走らせても、文字は目に入ってこない。
黒いインクがノートの上でただ形を作っているだけだ。
隣の席からは、悠翔の筆記音が規則正しく聞こえてくる。
視線を向ければ、いつもと変わらない無表情…のように見えるけれど、
わずかに肩が固い。
彼だって、何も感じていないはずはない。

(昨日…あんなふうに言っちゃったけど)

「もうやめよう」

あの言葉は、本心の全部じゃなかった。
本当はやめたくなんてない。
でも――怖かった。
“好き”を持っているだけで、こんなに傷つくんだって知ってしまったから。

チャイムが鳴って、放課後になった。
クラスメイトたちがぞろぞろと部活や帰宅へ向かう中、心葉は自分の机に座ったままプリントをまとめていた。
その手元に、美咲が顔を覗き込ませてくる。

「大丈夫?なんか元気ないよ」

「うん…ちょっと、疲れただけ」

笑顔のつもりでも、自分でも分かるくらい弱い声だった。
美咲は何か言いかけて、唇を閉じた。

「そっか」とだけ返し、カバンを持って教室を出て行った。
再び、教室は静かになる。
窓から差し込む西日が机の上を赤く染め、その光がスマホの画面に反射した。
無意識に手に取り、LIMEを開く。
未送信メッセージの欄に、昨日書きかけて保存した一文が残っていた。

 ̄ ̄ ̄ ̄
「悠翔くん、ちゃんと“好き”って言えるようになりたい」
 ̄ ̄ ̄ ̄
画面を見つめて、心葉はゆっくりと息を吐く。

(こんなこと…今の私じゃ、無理だ) 

指先が送信ボタンに触れかけて、結局キャンセルを押す。
その動作は、もう癖になっていた。
カバンを閉じようとしたとき、スマホが震えた。

――【悠翔くん】「話せる?」

短い文章。でも、心臓が跳ねるには十分だった。
どう返事すればいいか分からず、画面を閉じた。
けれど、教室を出る足は自然と昇降口へ向かっていた。
靴を履き替えていると、不意に背後から名前を呼ばれる。

「朝比奈さん」

振り返った瞬間、夕陽の逆光で彼の輪郭だけがはっきりと浮かび上がる。
その中で、目だけは真っ直ぐにこちらを捉えていた。
逃げ場を与えない強さと、優しさが同居している瞳。

「少し…時間、いい?」

「……うん」

並んで校舎を出る。
部活の声が遠くから聞こえてくるだけで、二人の間には言葉がなかった。
グラウンド脇の通路を抜け、中庭の手前で悠翔が足を止めた。

「この前さ…“もうやめよう”って言ったよな」

心葉は小さくうなずく。

「……あれ、本気?」

問われても、答えはきまってるのに、すぐには答えられなかった。

“本気じゃない。”

まだ大好きだよ。
ずっと悠翔くんの笑顔が、頭から消えないの。
ご飯のときも、お風呂のときも、寝るときも…

でも、それを言ってしまえば、また何かが動き出してしまう。
動けば、また傷つくかもしれない。
胸の奥で、迷いが渦を巻いた。
沈黙が落ちる。
そして、悠翔が一歩踏み出した。
靴音が近づくたびに、心臓が早鐘のようになる。

「俺は逃げない。君は?」

空気が揺れた気がした。
その言葉は、真正面から胸にぶつかってくる。
視線を逸らすこともできず、心葉はただ立ち尽くした。
喉が詰まり、息がうまくできない。
それでも、言葉を探す。
やっと絞り出せたのは――

「好きって…ちゃんと、言いたいのに言えないの…
 …ごめん」

それは弱くて、情けなくて、それでも正直な声だった。
目頭が熱くなり、次の瞬間、涙が頬を伝った。
悠翔は、その涙を責めるような顔はしなかった。
代わりに、小さく首を横に振る。


「言えなくてもいい」


その声は低くて、あたたかかった。


「俺は、ずっと待ってるから」


その一言で、胸の奥の硬いものが少しだけ崩れ落ちる感覚があった。

“待ってくれる”――その安心感が、怖さを少しずつ溶かしていく。

夕焼けが二人の影を長く伸ばし、地面の上でゆっくり重なっていく。

重なった影の中で、心葉は小さくうなずいた。

――もう、逃げなくてもいいのかもしれない。
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