好きって送れなかった
文化祭の本番は明後日。
教室も廊下も、まるでお祭り前夜の空気に包まれていた。
私は実行委員の腕章をつけて、看板の色塗りや飾りつけで走り回っていた。
 忙しいはずなのに、心は落ち着かなかった。

体育館の舞台で台本を片手に立つ悠翔くんの姿が、視界の端に映るたび、どうしても目を奪われてしまう。
舞台の上で台詞を口にする横顔は、いつもよりずっと大人っぽく見えて。
隣で笑顔を向けている美咲と並ぶと、本当にお似合いに思えてしまう。

(……応援しなきゃ。友達だし、私は実行委員だから)

 そう自分に言い聞かせ、ペンキの刷毛を握り直した。



 放課後、夕焼け色の廊下。
 美咲が悠翔くんを呼び止めていた。

「悠翔くん……ちょっと、話せる?」

「ん? ああ、いいよ」

 変わらない、優しい声。
 美咲は唇を震わせながら、絞り出すように言った。

「……私ね、ずっと悠翔くんのことが好きなの。
舞台で練習するうちに、気持ちがもっと強くなって……
だから“伝えたくて”」

沈黙が落ちる。
悠翔くんは驚いたように目を瞬いたあと、まっすぐに私を見た。

「……高坂さん、言ってくれてありがとう」

 声は柔らかい。でも、その次は揺るがなかった。

「ごめん。俺、もう好きな人がいるんだ」

その言葉と同時に、ふと彼の視線が校庭の方へ流れた。

夕陽に染まった窓の向こう、看板を抱えて歩いているのは——親友の心葉。
 私に向かない、甘くて優しい瞳。
その眼差しに込められた気持ちを、美咲は一瞬で理解してしまった。

(……心葉しか、その瞳はとらえてないんだ)

——思い出す。

 中学の帰り道、雨の日に傘を差し出してくれたこと。

 体育祭の練習で私が転んだとき、真っ先に駆け寄って「大丈夫か?」って笑ってくれたこと。

みんなが騒いでいる時でも、ひとり冷静に支えてくれる姿。

 その一つひとつに、私は惹かれていったんだ。

(……最初からずっと、私は悠翔くんが好きだった)

だからこそ、わかってしまう。
悠翔くんが、心葉を見るときだけ特別に優しくなる理由を。

心葉より、ずっと前から私は好きだった。
……でも、私の大好きなその人は、もうずっと、心葉に向かってたんだ。

 胸がきゅっと締めつけられる。
 でも、責めることなんてできなかった。

(……わかってたんだ、最初から。結末はこうだって)

悠翔くんが心葉を好きなのも、心葉が悠翔くんを想ってるのも。
あの日、応援してるって笑った心葉の顔が頭をよぎる。

私は、そんなお人好しで、優しい心葉が大好き。
——悠翔くんが惹かれたのも、きっとその部分だろう。

「……ありがとう」

その言葉は、どっちに言ってるんだろうな…なんて思ってしまう。

唇に浮かべた笑顔は、少し震えていた。
きっと、ちゃんと笑えてない。可愛くない。
それでも、涙は見せたくなくて。
その場を走り去った。

♦︎

私は準備室で刷毛を洗っていた。

(なかなか落ちないなぁ……)

水道に広がる赤や青の絵の具の跡を眺めながら、手を止める。
「え……?」  

突然、扉が勢いよく開いた。  

飛び込んできたのは、美咲。  
目が赤く腫れていて、息も少し乱れている。

「美咲……? どうしたの?」  

思わず声をかけると、美咲は一瞬だけ私を見て、ぎゅっと唇を噛んだ。  
それから、何かをこらえるように目を伏せる。

「ごめん、ちょっと……ここ、いい?」

「うん、もちろん」

刷毛を置いて、タオルで手を拭きながら彼女の隣に腰を下ろす。
準備室の静けさの中で、水道のポタポタという音だけが響いていた。

「……ねぇ、心葉」  

聞いた事ないくらい、かすかな声。  

私は息をのむ。

「……悠翔くんのこと、ずっと好きだったんだ。
 あの時、困ってた私を助けてくれて……
 それから、ずっと」

 美咲の声は震えていた。

「でも…ごめん、急にこんなこと話して。もう行くね」

 彼女は泣き笑いみたいな顔を残して、背を向けた。
 扉が開いて、閉まる音がやけに大きく響いた。
 胸の奥がぎゅっと掴まれる。

 無理やり口角をあげて見送ったけど、心臓はざわめいて仕方なかった。

(……私、応援するなんて言ったのに)

 唇を噛む。
 本当は応援なんてできない。
 だって、私も好きだから。大切な恋人だったから。
 でも、友達の前では笑うしかなかった。

 そして胸の奥では、どうしようもなく——ほんの少し、嬉しいと思ってしまった。

 頭に浮かんだのは、夏の夕暮れ。
忘れ物を取りに行った教室で、ふたりきりで交わした笑顔。
その時からずっと、私の世界の真ん中は悠翔くんだった。

(……私、最低だ)

文化祭はもうすぐ。
明後日、幕が上がったとき。
私と悠翔くんは、どんな顔で互いを見てしまうんだろう。

美咲は、どうなってしまうのだろう。

私は思わず、美咲を追って駆けだした。
< 9 / 11 >

この作品をシェア

pagetop