私の理想の王子様
「ご、ごめんなさい……ちょっと考え事をしちゃって」

 うつむく朝子の手を握り直すと、須藤は優しく「いいよ」と声を出す。

「さっきのことでしょ? あんなにすぐに断って良かったの?」

 須藤の言葉に朝子は「え……」と顔を上げた。

 朝子が朝哉として人前に出ることを、須藤は嫌がるのではないかと思っていたが、違うのだろうか?


「ねぇ、朝子」

 須藤はマンションの玄関の前まで来ると、キーをさし込みながら朝子を振り返った。

「本当はどう思ってるの?」

 “本当は”という所に、やはり須藤には朝子の心などお見通しなのだろうと思う。

 靴を脱ぎ、そのままリビングのソファに深く腰かけた朝子は静かに目を閉じる。

 須藤は朝子の隣に座ると、そのままうつむく朝子を抱き寄せた。


「本当は……」

 朝子は小さく口を開くと、須藤の胸に顔をうずめるように抱きつき返す。

「本当は?」

 須藤の低くて心地よい声が、鼓動の音と一緒に伝わった。

 “本当はやってみたい”

 そんな言葉が朝子の中にふつふつと湧いてくる。

 でも同時に、自分は男装メイクで人を騙したのだという罪悪感も見え隠れする。

 誰かにその事を指摘されたら、自分だけでなく須藤や会社の人たちまで傷つけてしまうかも知れない。
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