ブーケの行方と、あの日の片思い

第二十八章:彼の恋愛観

健太が別のテーブルに戻り、
にぎやかな空間の中で、優花と宏樹だけが取り残された。

音楽も笑い声も、確かに聞こえているはずなのに、
二人の周囲だけ、どこか別の空気が流れている。

宏樹はウィスキーを飲み干し、
グラスを置くと、ゆっくりと優花に向き直った。

「さっきは……ごめん。健太、悪い癖なんだ。
 あいつ、ああいう“昔話”をやたら掘り返すから」

「大丈夫ですよ。少し懐かしかったですし」

優花が穏やかに返すと、宏樹は短く息を吐き、
何かを決めたように口を開いた。

「……でも、俺、ああいう“モテたとかモテないとか”の話、
 本当に興味ないんだ。学生の頃は自分のことなんてわかってなくてさ。
 今思えば、全然中身がなかった」

彼は一度テーブルを見つめ、
それから、ゆっくりと優花の瞳に視線を戻す。

「今の俺が求めてるものは、昔とは全然違う」

優花は息をのんだ。
核心に踏み込む予感がしたからだ。

「……昔と、求めるものが変わった、ということですか?」

その言葉に、宏樹は驚いたように目を丸くし、
やがて、静かに頷いた。

「そう。
 今欲しいのは、ただ一緒に笑って騒げる相手じゃない。
 仕事で疲れて帰った時、静かに隣にいてくれる、
 心の平穏なんだ」

優花の心臓が、ゆっくりと音を立てる。

「昔は、刺激的な女性に惹かれてたかもしれない。
 でも今は違う。
 俺の言葉を全部理解しなくていい。
 励まさなくていい。
 ただ“そこにいてくれる”……そんな安定感を持つ人がいい」

その横顔は、
披露宴で見た仕事の責任を背負う大人の顔ではなく、
どこか弱さをさらした、等身大の宏樹だった。

(安定感……心の平穏……)

優花は、自分の胸の奥で何かが柔らかく灯るのを感じた。
宏樹が求めているのは、
華やかな誰かではない。

むしろ――
優花がずっと悩んでいた「地味で真面目な自分」そのものだった。

「そういう女性なら……
 宏樹の周りにも、たくさんいると思いますけど」

試すような言い方になった。
勇気と不安が入り混じっていた。

宏樹は苦笑し、グラスの氷を回す。

「どうだろうな。
 周りは皆、自分のことでいっぱいで、
 俺の弱音なんて重荷にしかならないと思ってしまう。
 ……それに、俺は昔から、誰かに甘えるのが苦手なんだ」

甘えたい。
でも甘え方がわからない――
そんな孤独が、言葉の隙間から滲んだ。

優花は、そっと息を吸い、勇気を出して言った。

「話すだけで少し楽になるなら……
 私は、いつでも話を聞きますよ。
 ただ、聞いてあげるだけでしたら」

宏樹は一瞬、言葉を失ったように優花を見つめた。

そして――
ゆっくりと、堪えるように微笑んだ。

「……ありがとう、相沢。
 本当に……その言葉、心強い」

その声音は、
冗談でも、礼儀でもない。

“相沢は、自分にとって特別な存在だ”
そう静かに告げる響きを含んでいた。

二人の距離が、またひとつ縮まっていく。



その時だった。

宏樹が、
指先でそっと優花のカクテルグラスの縁を触れた。

「……相沢。
 さっきから、俺の話ばかり聞かせて悪いな。
 でも……もう少しだけ……話してもいいか?」

その声音は、
“この人に甘えてもいいんだろうか”
という迷いと、
“本当はもっと一緒にいたい”
という願いが混ざり合っていた。

優花は、その揺らぎごと、微笑みで受け止めた。

「もちろんです。
 宏樹の話なら、もっと聞きたいです」

宏樹は、小さく息を吐いた。

その表情は、
“誰かに心を預ける準備が整った人の顔”
だった。
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