新堂さんと恋の糸
 私はこのまま何も買わずにお店を出るのがどことなく気が引けて、目に付いたマスタード色のニットを手に取った。

 (今年まだ秋服買ってないし、一着だけ買おう)

 それを店員さんに渡してレジでお会計をしていると、ちょっと!という大きめの声が耳に飛び込んできた。

 「もうー、またスマホ見てる!」

 視線だけそちらに向けると、試着室から出てきた女の子が椅子に座ってスマホをいじっている男の子に詰め寄っている。

 「仕方ないだろ、試着してる間することないんだから」
 「ちゃんと見てよ! こっちのワンピースとさっきのどっちがいいか聞いてるのに!」
 「どっちでもお前が好きな方でいいだろ。何回試着するんだよ」

 大学生くらいのカップルだろうか。
 男性にとって、女性の洋服の買い物に付き合うのは退屈――女性にとっては「見てほしい」「一緒に選んでほしい」。
 自分も元カレとそんなケンカしたな、なんて妙に懐かしくて。

 『彼女は見てほしいのに、彼氏は暇でつまらなそう』
 『買い物は楽しいのに、待つ側は退屈』

 (……これってまさに価値観のズレだよね)

 そのとき、一つのアイデアが降ってきた。

 ――カップルで来ても、どっちもストレスなく過ごせる店内にできたら……?

 通路幅、試着待ちの椅子、照明、メンズコーナーとの距離。次々と、断片的なイメージが頭に浮かび始める。

 (もしかしたら、いけるかもしれない……!)

 私は店員さんから受け取った紙袋をぎゅっと握りしめ、そのまま事務所へ急いだ。

< 29 / 174 >

この作品をシェア

pagetop