婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています

 金曜日の仕事帰り、玲央と待ち合わせして一緒にみなとみらい駅までやって来た。
 地上の出口に向かうための長いエスカレーターを上っている途中で、ひとつ先の段に乗っていた玲央がこちらを振り向いた。

「このウェア欲しかったんだよなぁ。秋に出た限定カラー!」

 有名スポーツブランドの、上下揃いの白いトレーニングウェア。
 タウンユースでも使えるデザインで、確かにパッと見はちょっとアクティブな普段着に見える。

「玲央は形から入るね」
「こういうのは自分でテンション上げたもん勝ちだからね」

 これからふたりで、駅の近くにあるトレーニングジムへ向かうところだ。

 数日前、実家に帰って両親と玲央に顔合わせがなくなったことを謝った。
 色々準備してくれていただろうに、お母さんは私のことを心配こそすれど怒ったりはしなかった。
 ありがたいけど、なおさら申し訳ない。

 そして久しぶりに家族で夕飯を食べている時、ポロッとダイエットの話題を口にしたところ、玲央が食いついてジムを進めてきたのだった。

「俺も初めて行くから楽しみなんだよね。結構デカいらしくてさ、今通ってるとこは家から近いから良いけどあんま器具置いてないの」
「へえ、ありがとうね。わざわざついて来てくれて」
「いいって。あいつに行く行くって言って、行く行く詐欺してたとこだったし」

 今向かっているジムには、玲央の友達がパーソナルトレーナーとして勤務しているらしい。
 みなとみらいなら職場が近い私が行きやすいだろうということで、わざわざ連絡して一日体験の予約をしてくれた。
 
 本気でトレーニングしたいなら、サポートしてくれる人がいた方がいいんじゃない? 
 姉ちゃん初心者だし。と促され、素直に言うことを聞くことにした。
 
 せっかく玲央が進めてくれたのだし、玲央の友達なら安心感もある。
 お金はかかるかもしれないけど、自分のためにお金を使うことはきっと悪いことじゃない。
 
 とにかく体験してみてから、やってみるかどうかはそれからだ。

「……あのさ、姉ちゃん」
「ん?」
「えーと、その」
 
 さっきまで意気揚々と喋っていた玲央が、急に声のトーンを下げた。

「……このエスカレーター長いよな~って」
「……なあに、言いたいことがあるなら言ってごらん」

 玲央は普段からお喋りだけど、本当に話したいことは中々言い出せない。
 とりあえず関係ない話をしながら、どう話そうか考える……そんな癖があるのは、姉である私はよく知っている。

 あはは、と小さないたずらがバレた時の様に、玲央が笑った。

「ジムに通うのは大賛成。気分転換になるし、俺の友達も……まあ良いヤツだし」

 良いヤツ、と言う前に少し間があったのが気になるけど、それよりも歯切れの悪い玲央が気になる。

「でもさ、痩せてアイツを……また元彼を振り向かせよう、とかはしないでよ」
「えっ、しないよそんなこと!」

 予想外だった玲央の言葉に驚きつつも、ハッとする。

 もう元彼のことはなんとも思っていないけど、それでも「太っていなかったら結婚してくれたのかな」とは未だに考えてしまう。

「姉ちゃんさ、この間帰って来た時すごく母さんに謝ってたじゃん。だから心配で」
「え?」
「母さんも父さんも、姉ちゃんの結婚がなくなってがっかりなんかしてない。ただ姉ちゃんが傷ついてるんじゃないかって、それだけ心配してる」
「そ……うだよね。それはわかってるよ」

 お母さんもお父さんも、私のことを責めなかった。
 子どもの結婚式に出たとか、初孫を抱いたとか、両親の年代の人たちはそんな幸せを体験しているだろうに。
 
 結婚したいのはもちろん自分のためだけど、両親を安心させたい、喜ばせたいという思いも含まれている。

「だから焦ってヨリを戻すとか、絶対するなよ! 母さんたちが認めても俺が認めないから!」
「はいはい、絶対ないから安心して」

 自分が、と言わなかったけど、玲央も私のことを心配してくれているんだろう。
 共働きの両親に代わって、私は何かと玲央の面倒を見ていた。
 5歳下のかわいくてやんちゃだった弟は、今は私のことを気にかけてくれる優しい立派な人だ。

「大人になったねぇ、玲央くん」
「その発言が子ども扱いなんだけど?」

 照れたような拗ねたような玲央がおかしくてクスッと笑うと、彼もふふ、と笑った。
 それからはジムへの期待、最近食べた美味しいもの、お父さんが料理に目覚めた話……玲央がとめどなく話すのをうんうんと聞きながら、長いエスカレーターを上り切り駅の出口に向かった。

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