恋するお弁当箱
「では電車なら大丈夫でしょうか?」
「はい……」

 通勤で電車を使っている。満員電車は苦痛だが、いまのところはパニック発作が出たことはない。電車も満員なら逃げ場がなくて怖くなりそうなものだが、そこは極力考えないようにしてやりすごしている。最悪は次の駅で降りればいいと自分に言い聞かせているのも効果があるのだろう。こういうのは人によって反応するレベルも対処法も違うだろうから、万人に通じる方法だとは思っていない。

「聞いてもいいですか?」
 彼の前置きに、咲穂は首をかしげる。
「どうして狭い場所が苦手に?」
「小さい頃、古井戸に落ちたことがあるんです」

「ケガは大丈夫だったんですか?」
「はい。落ち葉が積もっていたので、それがクッションになったようです」

「しかしなんでまた井戸なんて。今どきなかなかないですよね」
「母の実家に帰ったときに、敷地にあったんです。埋めるための工事をしていていたんですけど連休で工事がおやすみで」

 母の実家で飼われているチワワの散歩に咲穂が行こうとしたときだった。首輪がゆるかったらしく、チワワがすっぽ抜けてしまった。
 自由になった彼は喜んで走り回り、咲穂は慌てて追いかけた。

 チワワは三角コーンとバーで簡易に作られた立入禁止を越えて、古井戸のふちでしっぽをふって咲穂を待つ。
 咲穂は青ざめながらゆっくり近寄った。

 家に戻って大人に言う、と考える余裕はなかった。早くチワワを捕まえないと落ちてしまう、そう思って焦っていた。
 ゆっくりと手を伸ばしたとき、チワワがずるっとすべって落ちた。

「あ!」
 慌てた咲穂は、気が付いたら一緒に落ちていた。
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