スランプ作家と桜のアリス
6th Day


ニューヨーク旅行6日目。ワシントンの桜を見に来ている。
透き通るような水色の空に満開のピンクの桜が映えていてすごくきれい。ずっと見たかった景色だ。
私たちは少し離れたところにある公園の芝生で、またのんびり過ごしている。

「きれいだね」
「はい」
「実は俺もこっちの桜は初めて見た」
「えっそうなんですか?すぐに見に来られるのにもったいない」
「ずっとね、他人とか周りに興味なかったんだ。高校生の頃に作家としてデビューさせてもらって、ありがたいことに仕事も尽きなかったけど……周りの目も変わっていった。本名で作家活動しちゃっていたから、一時は近所を歩くのも怖くなって。逃げるようにこっちに移住してきたんだ」

初めて聞く彼の話に耳を傾ける。私では想像もできないような経験や苦労をしてきているのだろう。

「ごめんね。紡ちゃんの前ではかっこつけてこっち案内したり、刺激的だとか色々と話したりしたけれど、俺もこんなもんなんだ」
「そんなこと……」
「こっちに来てからも仕事はなんとかなっていたけれど、俺自身は変われず閉じたままだった。スランプは抜けられないし、この先どうしていこうかと悩み続けていた時に、紡ちゃんに出会ったんだ。それで、少し光が見えた」
「光……?」
「うん。紡ちゃんに惹かれて、紡ちゃんを観察したり、紡ちゃんの気持ちを考えていたら、自分の物語の登場人物の気持ちをもっと大切にしようと考えるようになって。そしたら話の中で登場人物たちが動き出して、話が進んでいくようになったんだ。これデビューの頃以来、俺には出来なくなっちゃってたことだって思い出して」
「紡ちゃんのおかげでまた他人に興味を持てるようになったんだ。俺をどん底から救い上げてくれた、ありがとう」
「そんな……私なんて何も……」

嬉しい……こんなに嬉しいことを言ってくれるのに、私は何も返せていない。
もういいのかな、決めてしまって。私この人について行って、仕事も一からやり直せばいいのかな。

「ごめんね、紡ちゃんにもう1つ謝りたい」
「え、なに……」

私が謝るならまだしも、柊さんに謝られる理由は見当もつかないし、ないような気がする。

「初日、ロックフェラーセンターでのこと」

そう言われて、キスのことか!と納得しつつ、思い出してまた顔が赤くなる。
そんな私を見ていた柊さんが意地悪にニヤリ微笑みながら話す。

「あ、キスのことではないよ」
「……!」
「思い出して赤くなってたの?可愛いね」

恥ずかしくて悔しくて、ちょっぴりムカついてそっぽを向く。

「ごめんごめん、これも他人に興味を持てるようになった成果だと思ってよ。キスもまぁ……許可なくしたのは確かにごめん。でも気持ちがあふれちゃって」

あふれちゃって……ってなんだ!あふれたら勝手にしていいのか!ってツッコみたくなったけれど、この話題を長引かせるのは間違いなく私に分が悪いので受け流すことにする。

「そ、それで……謝りたいことってなんですか」
「こっちに住めばとか、紡ちゃんを困らせるようなこと言ったこと。あの時、紡ちゃんとの関係をなんとか繋ぎ止めたくて……もともと悩んでいる紡ちゃんに追い打ちをかけるようなことして軽率だった。せっかくの旅行中も悩ませ続けてしまって、ごめん」
「そんな……確かに悩んでいますけど、ああ言ってもらえて嬉しかったし、色々な道があるんだ、仕事がすべてじゃないんだって思いました」

これも事実で、だからこそ簡単に結論が出せない自分がいるのだけれど。

「でも紡ちゃん、看護師の仕事好きでしょ?」
「え」
「見ていればわかるよ。いつも他人のこと考えて優先して。飛行機でもそうだったし、こっちでも無意識に看護師の紡ちゃんででいることが多いよ」
「そうなの……かな」

うまく言えないけれど、柊さんに核心を突かれたような気分になる。やっぱり看護師の仕事、好きなのかな……私。

「……続けられるかな、看護師。確かにこの仕事は好きだけど、今回の件でちょっと気持ちが途切れちゃったのも事実で……また同じ気持ちで臨めるかの自信もなくて」
「うん。その気持ちもわかる。でもなんだろ、奉仕の精神っていうのかな、紡ちゃんにはあるよね。飛行機の時も、何か特別な治療してもらったわけじゃないし、専門的なことはわからないけど、癒されるっていうか心休まるっていうか。声色とか口調とか色々と……天性のものだと思う」

そんな風に言ってもらえるなんて……嬉しくて涙が出てきそうだ。

「だからさ、俺思ったんだ。俺が日本帰ればいいのかなって」
「……はい?」


少し風が吹いた。太陽も強くなってきて、目を細めながら桜の花びらがひらひらと舞っているのが見える。

唐突に俺が日本に帰る……って聞こえた気がするけれど、どういうつもりなのだろう。

「俺にとって、紡ちゃんは大切な人。そんな大切な人から大好きな仕事を奪ったり、悩ませるのは俺だってしたくない。でも一緒に居られるなら一緒に居たい。なら、俺が日本に戻れば解決するのかなって」
「ちょっ、ちょっと待って……」
「考えてみたら俺がこっちにこだわる理由はもうないんだよ。さっき言った通り、紡ちゃんのおかげで前に進めているから。もう日本で周りの視線が合っても大丈夫。作品も書き続けてみせる」
「いやいやちょっと待って……」
「紡ちゃんが俺と居てくれることを選んでくれた時は、そういう道もあるなって」

は、話がどんどん飛躍していてついていけない……
でも……そうなのかな、柊さんが日本に来るなら、悩みやわだかまりはなくなるのかな。柊さんが望んでいるならいいのかな……
「俺と居てくれることを選んでくれた時は……」
――私もそろそろ、ちゃんと結論出さないと。

芝生に視線を落としていた顔をふと正面に戻すと、少し先の方で人だかりができていた。

「なんでしょうか……」

様子を見ていると、柊さんが慌てて立ち上がってこちらを見た。

「救急車、医者はいるか?って単語が聞こえた、恐らく誰か倒れてる」



柊さんの言葉を聞いた瞬間、反射的にバッグを持って人だかりの方へ走っていた。
柊さんの通訳サポートもあり、倒れている方に近づけた。
60歳前後の男性。意識はないけれど心拍はある。今は汗かいていないけれど、服は濡れている。
バッグから簡易血圧計を出し計測しつつ、脈拍を測る。血圧低下、脈はすごく速い。

おそらくこの症状は……けれど私は医師ではないし、ここは外国。下手なことはできない。何よりきちんと伝えることさえできるかわからない。
それでも……

自分のふがいなさを感じていた時、肩にポンと手が置かれた。振り向くと柊さんだった。

「救急車の到着までまだかかるらしい。連れの人に通訳するから、言って。大丈夫、俺がついてる」

心強い言葉に大きくうなづき、私も覚悟を決める。

「恐らく……脱水症状です。ただ汗の量や血圧から、低血糖症気味かと」
『そうです!主人は低血糖で普段からブドウ糖を取っていて!』

確証はなかったからよかった。そして自分で聞き取った奥様の声と柊さんからの通訳の内容が一致していたことにもホッとする。
私はバッグからペットボトルを取り出す。

「糖分も含んでいる、熱中症用の飲み物です。応急処置ではありますが、口に含ませてもいいですか?」
『お願い!』

頭を抱えて少し高くして、口に含ませると倒れている方の喉が動いた。
……よかった、飲めた。
少しずつ含ませることを続けているうちに、サイレンの音が聞こえてきた。よかった、一安心だ。


その後、柊さん曰く倒れていた方は救急車によって病院へ運ばれ、無事に意識を取り戻したらしい。
やはり脱水症状と低血糖症状だったようで、大きな後遺症もなく少ししたら退院できるそうだ。

「紡ちゃんのおかげだって。ドクターもあの奥さんも感謝してたよ」
「いえいえ、そんな……」
「謙遜しなくていいのに。本当にかっこよかったよ。これが仕事中の紡ちゃんなんだなって」

今回の件で痛感した。勉強した英語も、外国での治療の覚悟も……何も通用しなかったこと。まだまだ、何も足りなかったこと。

「柊さん……私、落ちた理由がわかった気がします」
「ん?」
「教科書や面接対策の勉強ばかりで……日本での話ばかりで……ニューヨーク勤務になることや試験に合格することをゴールにしてしまっていて」
「うん」
「こっちに来てどうなりたいか、どんな看護師になりたいかのビジョンが全く定まっていませんでした。きっと、それを見抜かれていたんですね」
「うん、それで……気持ちは決まったんだね」
「はい」

さっきまでの騒動がなかったかのようにワシントンの街の日常が戻っている。
風も止み穏やかで、桜ももう舞っていない。

「私、日本に戻って看護師を続けます。やっぱり、人を助けたいし、寄り添ってその人や周りの人が元気に笑顔になっていくのを見ているのが好きなんです」
「うん。そうだね、やっぱり紡ちゃんにピッタリだと思う」

「なら俺は……」

柊さんがそう言いかけたところで、彼の唇に私の手をピタッとあてた。

「ダメです、柊さんはこっちに居てください」
「……それが、紡ちゃんの答え?」

何度も考えた。一時は彼に甘えていいのかなって思って、こっちに住もうかとか、提案してくれたように2人で日本に戻ろうかとも考えた。その選択をしてもお互い、逃げにはならないだろうと思った。
けれど……さっきの件で、私が自分の看護師としての気持ちに気づいたのと同時に、柊さんも私に合わせて道を変えてはいけない人だと気づいた。
他人への興味の話も事実だろう。だけど、実際彼の小説はニューヨーク移住後さらに世界観が深まったと思う。なんだかんだ、さっきのように周りを見ているし、もともと人への情だって熱い人なのだろう。
私を理由に、彼を縛りたくはない。なにより勝手ながら、作家として世界に羽ばたいていってほしい。

「そっか……わかった。いっぱい考えてくれて、ありがとう」

そう言う柊さんの唇を、今度は私がふさいだ。
彼は目を見開いてあっけに取られている。

「仕返しです」
「え……」
「勝手に結論出して落ち込まないでください」
「は……」
「柊さんを縛りたくない、こっちに残ってほしい。それは絶対の気持ちです。でももう1つ、絶対の気持ちがあります」

「好きです、柊さんのこと」

まだ柊さんはポカンとしている。約1週間一緒に居て初めて見る表情だ。いつもは割と逆の立場が多いから……
こんな風に新たな一面を見られるのもいいし、離れ離れになるとみられないこともあると思うと後ろ髪を引かれる気持ちでもある。けれど……

「好きって気持ちと自分の人生。今は一緒にすべき時ではないと思います。けれど……私だって好き、一緒に居たいです。だから……」
「1年間日本でまた頑張って、来年のニューヨーク病院への試験に再チャレンジします。次は絶対受かるから……それまでここで待っていてください」

ただただ海外勤務したかった1年前の自分とは違う。次はやってみせる、成長したい。
そう思わせてくれた柊さんに感謝の気持ちでいっぱいだ。

「紡ちゃん……ありがとう」

柊さんにギュッと抱きしめられた。

「ちょっと……周りに人が……!」
「アメリカだもん、こんなの日常茶飯事だよ」
「えぇ……」
「紡ちゃん、待ってるね。俺もちゃんと頑張る」
「はい、金髪美女に浮気しないでくださいね」
「するかよ……」

抱きしめられたまま少しして、冷静になってきて恥ずかしくなったところで、柊さんを引き剥がし、シートを片付ける。

「そういえば、俺もセントラルパークのピクニックで自分の中で色々と動き出して。今回紡ちゃんもここで動き出して……芝生でのんびりが分岐点になってるね」
「やっぱり私たちアリスの世界にいるのかもしれませんね」

ただ、この前と違うところは私たちの関係性。
手を繋いでワシントンからニューヨークへ帰った。

そしてその日の夜――ニューヨーク最後の夜。
私たちは同じ部屋に泊まり、甘い甘い夜を共にした。


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