【完結】恋はあの人に、堕ちたのは君に。〜今日も意地悪な同期の腕の中で〜

伝える本音

「佐伯、今日の夜、時間ある?」


夕方。


フロアのざわめきの中、背後からかけられた黒瀬の声に、有紀は思わず肩をすくめた。


それでも、振り返って、小さく笑う。


「……うん。わたしも…話したいことがあるの」

 

***

 

夜。


人通りの少ない駅前の並木道。



ふたり並んで歩くけれど、言葉はずっと、風の音にかき消されていた。


やがて、有紀がそっと立ち止まる。


「……黒瀬くん」


名前を呼ぶ声は、震えていた。


風に吹かれた木々の音すら遠くなる。


黒瀬も立ち止まり、ゆっくりと彼女を見る。


「……ねえ、わたし、この関係、もう限界かもって思ってるの」




まっすぐ前だけを見るその横顔に、黒瀬の表情は揺れた。



有紀は、彼を見ないよう、続ける。



「……あなたに触れられるたびに、嬉しくて、嬉しくて……。
でもそのあと、決まって同じだけ、苦しくて、虚しくなるの。
どうしてって、自分でもわからないくらい、苦しくて……」



言葉が詰まり、呼吸が浅くなる。


それでも、続きを言わずにはいられなかった。


「あなたが優しくするのが、もしその場限りの気まぐれだったらって思うと、
そのたびに、心の奥がきしむように痛くて……

勝手に期待して、勝手に落ち込んで、
そんな自分がほんとにいやになる……」




声が震え、喉の奥がつまる。


けれど、それを飲み込んで、有紀は言った。


「だから、もう終わりにしたほうがいいんじゃないかって……思ってる」


この言葉に、彼が息をのむがわかった。


「黒瀬くんから、離れたほうが、いいのかもしれないって……思ってる」

 


(ほんとはそんなこと、思ってなんかない)


(ほんとは——)

 

たくさん、触れてほしい。


何度でも、抱きしめてほしい。


この先もずっと名前を呼んで、そばにいてほしい。


誰よりも、特別なんだって、証が欲しかった。


でも、もう、これ以上は——




 

何も言えなくなったその時──



黒瀬の腕が、有紀の身体を強く抱きしめた。

 

「っ……!」

 

驚いて息を呑む。


黒瀬の腕の中に、有紀の身体がすっぽり収まった。


鼓動の音が早い。


温度が、痛いくらい近い。


耳元で、落ちたのはかすれた声。

 

「……いやだ」

 

「え……」

 

「離れたくない。絶対に——」

 

その声は、低くて、少し震えていて、



だけど何より、強かった。

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