【完結】恋はあの人に、堕ちたのは君に。〜今日も意地悪な同期の腕の中で〜
「黒瀬くん、今ちょっといい?」
昼過ぎ、有紀が俺のデスクに近づいてきた。
さっき給湯室で高峰と話してたときとは違う、いつも通りの落ち着いた顔。
そのことに、無償に気持ちが落ち着かなくて。
俺の声は、思っていたより冷たく響いた。
「……資料?」
「うん、ここの仕様をどうしようか迷ってて……」
「……高峰に聞けば?」
「え?」
小さく、有紀の目が揺れた。
それに気づいた瞬間、胸の奥が痛む。
「いや。……なんでもない。どれ、見せて」
有紀がファイルを差し出す手を一瞬ためらったのを、俺は見逃さなかった。
その、曖昧に取り繕うように、笑おうとする仕草に、心の奥がざらつく。
(……最悪だ、俺)
八つ当たりみたいな言い方をした自分に、強く嫌気がさした。
言いたいことは山ほどあるのに、何ひとつ口にできない。
俺には、有紀が誰と話そうが、笑おうが、それを咎める資格なんてない。
わかってる。ちゃんと、わかってる。
こんな感情を有紀にぶつけるのは、間違ってる。
──けど、それでも。
(……あんな顔、俺には見せたことないくせに)
理屈じゃどうにもならない感情が、静かにせり上がってくる。
あんなふうに楽しそうに、気を許して、笑って。
そんな“特別”を見せられたあとじゃ、冷静でいろってほうが無理だ。
有紀は何も悪くない。
それでも俺の中の感情は、どうしようもなく暴れていた。
……そしてようやく、認めざるを得なかった。
(……ああ、もう、完全に惚れてる)
ただ気になってるだけ、なんて嘘だった。
誰よりも頑張ってるところも、真っ直ぐで素直なところも、
時折見せる不器用さも、気の抜けた表情も、全部──愛しくてたまらなかった。
“好き”なんだ、って。
ようやく、それを言葉にできた瞬間。
途端に、どう動けばいいのか、分からなくなった。
伝えれば壊れてしまいそうで、
でも動かなければ、高峰に全部持っていかれそうで──
この不確かな距離が、息苦しいほど重くのしかかる。
静かにファイルを受け取るとき、
触れそうで触れない有紀の手元から、ほんのり石鹸みたいな匂いがした。
──それだけで、また心臓が跳ねた。
こんなことでいちいち動揺してる自分が、情けない。
けどもう、止められなかった。
その香りに触れた瞬間、この気持ちは、もうずっと前から始まってたんだと、今さら思い知らされる。