【完結】恋はあの人に、堕ちたのは君に。〜今日も意地悪な同期の腕の中で〜
———数か月後。

 

「――黒瀬くん、これお願いしてもいい?」


何気なく口にした瞬間、ソファに寝転んでいた尚が、ぴたりと動きを止めた。


「……お前も……黒瀬だろ?」


むくりと起き上がり、じとーっとした視線を投げられる。


有紀は思わず口を押さえた。


「あっ……! そうだった……」


――黒瀬有紀。


まだ全然慣れない名字。


役所で手続きのとき、紙に書いた自分の名前に、まだ実感が湧かなくて。


けれど、呼ばれるたびに、心の奥がくすぐったくなる。


本当に、この人の妻になれたんだって。



「ご、ごめん。つい、癖で……。黒瀬くん呼びが長かったから…」


「ったく。俺、旦那だぞ。名字で呼ばれるとか、普通に距離感じるんですけど?」


拗ねたように眉を寄せる尚に、有紀は思わず笑ってしまう。


「ちゃんと名前で呼べ」


「……ふふっ。うん、ごめんね?
……尚くん」



まだ呼び慣れない名前を口にした途端、頬が熱くなる。


尚は、その様子に、満足げに頷いた後――そのままぐっと有紀の腕を引き、ソファに押し倒した。


「……っ」


そして——あっという間に唇を塞ぐ。
有紀は、驚いて目を見開くが、すぐに尚の唇の熱と、柔らかな感触に溶かされていった。


軽く触れるだけじゃない。


甘くて、少し意地悪なキス。


「んっ……黒瀬く……」


「ほら、また」


「あっ、ごめ……っ」


「……練習が必要だな」


唇が離れると、尚は呆れたように息をつき、けれど、愛おしげに有紀を見下ろす。


髪に指を滑らせ、そっと撫でるその仕草に、有紀の胸がじんと温かくなる。


優しい指先が髪をなぞるたび、心臓の鼓動が速くなった。



「有紀」

「ん?」

「……愛してる」

「っ……」


結婚してからも。


相変わらず、尚から囁かれる言葉は、甘くて、不器用で、時に意地悪だけど、すべてが深くて、温かい愛情に満ちていた。


こんなにも真っ直ぐに、自分だけを見てくれる人と、私は夫婦になれたんだ——


そう思うと、胸の奥がじんと熱くなる。



この人の隣にいることが、何より自然で、安心できて、幸せ。


――これからも、ずっと。



この人と一緒に、笑って、ぶつかって、支え合いながら、二人で未来を紡いでいきたい。



そう心に誓いながら、有紀は、そっと抱きしめてくるその背中に腕を回した。






(fin.)
< 162 / 172 >

この作品をシェア

pagetop