【完結】恋はあの人に、堕ちたのは君に。〜今日も意地悪な同期の腕の中で〜
「……きれいだね」

「だな」


肩がふれるくらいの距離で、わたしたちは並んでクラゲの水槽を見上げていた。



淡い青と白が混ざる光の中、クラゲがふわりふわりと漂っている。



まるで重力のない世界をただようように、静かで、柔らかで、言葉すらいらない時間だった。



「……わたし、クラゲがいちばん好きなんだ」



ぽつりと漏れた自分の声に、わたし自身が少し驚いた。



でも、高峰くんはそれを遮らず、ただ横で待ってくれていた。


「入社したばっかりの頃、仕事うまくいかなくて……。先輩に怒られたり、空回ったりして。仕事も全然終わんなくて。なんか、何も考えたくない時って、あるじゃない?」


「うん、ある」


「そういうとき、こっそりここに来てた。ぼーっと、この水槽の前に立って、ただクラゲ眺めてるだけで、少しだけ落ち着いた」


「……」


「クラゲって、ふわふわしてるのに毒を持ってて、ちゃんと自分の身を守ってるっていうか。見た目よりずっと強いんだなって。……そういうとこ、好き」


「……佐伯に似てるね。」


「え?」



また驚いて顔を向けると、高峰くんがふっと笑った。



「まっすぐで、優しくて。頑張り屋で、ちゃんと強い。でも、それを周りには見せないで、静かにふわふわしてる感じ。……誰かに似てるなって思ってたけど、佐伯だった」


「……」


言葉にしてみて、ふいに胸の奥がじんと温かくなる。


見てくれている。ちゃんと。


わたしを、仕事だけじゃない、ひとりの“人”として。


「そういうとこ、いいなって思ってた。」



さらりと、自然な声で。



その言葉は、まるで水のように染み込んでくる。



「……ありがとう」


わたしの声は、少しかすれていた。


うれしいのに、どうしてだろう。どこかに、ぽつんと痛みが残ってる。


(どうして、こんなときに……)


ふいに、あの人の言葉が頭をかすめた。






──「佐伯ってさ。ちゃんと魅力あるよ」



「お前って、がんばり屋だし。真面目で、ちょっと不器用で。でも、なんか放っとけなくて、ずっと見てたくなる」


あの夜に、ふとした会話の中で言われた言葉。


「それに、お前の裏表なくて、素直で、まっすぐなとこ……すげーなって、思う」



その声だけが、なぜだか今も鮮明に思い出される。


(……どうして、今、思い出すの)


隣にいるのは高峰くんなのに。
ちゃんと向き合いたいと思って来たのに。


それでも、黒瀬くんの言葉が心のどこかで響いて、動けなくなるときがある。



(比べちゃいけないってわかってるのに……)



今こうして隣にいる人も、わたしを見てくれている。


優しくて、誠実で、ちゃんとまっすぐ向き合ってくれてるのに。


それでも、頭のどこかで“比べてしまっている自分”がいることに気づいてしまう。


──その事実が、ひどく苦しかった。



でも、


隣にいる彼の優しさが嘘じゃないってことも、ちゃんと分かってる。


だから、もう少しだけ。


もう少しだけ、まっすぐ前を向いていたい。


そんなふうに思いながら、わたしはそっと、高峰くんの横顔を見上げた。



やっぱりその笑顔は、変わらずあたたかかった。


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