ハニートラップ

杏奈の口が引き攣って、強気な目が初めて泳ぐ。
そこに畳み掛けるように迫って、杏奈をベッドに押し倒して顔横に鋭く手を付いた。


「もう一回珠桜に手ェ出してみろ。
――お前も彼氏も殺すから。」


冷え切った腹の底から出てくる冷酷な声。
抑えた怒りは目の奥に滲んで、杏奈はヒッと息を呑んだ。

(充分“効いた”か。)

脅しではあるけど本気だし。
もういいかと立ち上がって、二度と来ることのない澱んだ部屋から静かに立ち去った。


――一歩外に出ると、残暑の湿った空気が纏わりついてくる。
オレンジ色と青が混ざる空が、綺麗すぎて痛々しい。


(今日学校行かなかったの、多分珠桜に怒られるな。)


“待ってるね”って言われたのに。

罪悪感に胸が痛んで、だからといって手放せない。


「……明日は行くから。」

心に向かって呟いて、夕日が照らす古いアパートの階段を下りていった。
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