ハニートラップ
――保健室にて。
久哉は千歳をベッドに降ろす。
貧血がいくらか落ち着いた千歳は、恐怖と気まずさの半々の顔をしながら久哉を見た。
「あの、高峰くん、ありが――」
「その呼び方。やめて。」
“じゃあなんて呼べばいいの?”という疑問符が千歳の頭に浮かぶが、久哉は特に答えない。
“高峰くん”
彼の耳には、自分を呼ぶ珠桜の声が蘇る。
他の誰も呼ぶことのなかった特別な呼び名。
同時に、ずっと燃え続けている嫉妬心も溢れ出す。
「――俊平の顔、見た?」
クッと短く笑った久哉の不穏に、千歳の表情が張り詰める。
「あー、スカッとした。
……全然足りないけど。」
――異常。
本能で悟って腰が引ける。
だからこそ、放っておくと取り返しのつかないことになる気がして、千歳は躊躇いがちに口を開く。
「こんなことしたって、珠桜ちゃんは振り向かないと思います、けど……」
「お前に俺達の何がわかんの?」
圧を利かせた声と睨みに、千歳はヒュッと息を呑む。
千歳が黙ったのを見ると、久哉は深く息を吐き出し表情を緩ませる。
「……珠桜の顔までは見られなかったな。」
独り言のように呟いて、千歳には一瞥もくれずに保健室から出ていってしまった。