ハニートラップ

――思ったより早く救急車のサイレンの音が近づいて、救急隊員が走ってくる。

俺の側にいた人は、ホッとした顔をして俺に笑いかけてきた。


「――よかった。もう大丈夫ですよ。」

そう言って、なんの未練もなく俺から離れていく。

伸ばそうとした手は思うように動いてくれず、
胸に何かが落ちる音がした。


「珠桜!やばい、道だいぶ間違ってた!見学会遅れる!」

「バカ!どうやったら徒歩圏内で道間違うのよ!
……とにかく走るよ!」


救急隊員の問いかけを聞き流して、ドタバタと走って揺れる2つ結びを見えなくなるまで見続ける。

――手にはハンカチ。傍に、珠桜が落としていった学校見学会の申し込み用紙。

「よぶ、みず……?」

意識が飛びそうになりながら、うわ言のように唇が記名欄に書かれた名前をなぞる。

読み方が合っているかはわからない。
下の名前は、一緒にいた男が呼んでいたから知っている。

「珠桜……」

読んだ名前を、心の真ん中に閉じ込める。


“呼水 珠桜”


世界が遠のく感覚の中で、ふっと思う。

今度は俺が、絶対に見つけ出す――って。

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