(悩める)リケジョの白井さんと(気ままな)リケダンの日高くん
 予定通り卒業式となり、合格発表がきて、皆が皆、次のステージに入る。私も無事そのひとりとなって、入学手続きを行った。
 大学は、本校は東京になるが農学部のキャンパスはそうでない。しかし、最初の一年は都内の本校キャンパスで学ぶ。二年生になれば、学部がある各キャンパスへ散っていくシステムだった。
 幸か不幸か、本校キャンパスはギリギリ通学可能な東京都。そういうわけで私はまずは自宅住みの大学生となった。
 ゆかりんは関西へ進学、ちーは神奈川、あっつんは滑り止め進学を返上して浪人することになった。そして私は先のとおりで、一年生は自宅通学生、二年生から下宿生となりひとり暮らしがはじまる。
 引っ越しがない分、のんびりした春休みを過ごしていた。

 そこに卒アル委員会の連絡が入った。卒業して合格発表までの間にクラスの打ち上げ会はあったのだが、それの卒アル委員会版のお知らせである。
 「お母さん、明後日、夕飯いらない。卒アル委員でご飯食べにいくから」
 「あ、そう。あまり遅くならないようにね」
 「はーい」
 宅外通学をすることにいい顔をしない両親であったが、なぜか今晩の夕飯は許された。
 (高校関係だと甘いんだよね~)
 (それで女の子を県外へ出すのは……っていうのが、よくわからない)
 (単純に、学費の問題なんだろうな)
 時刻になり、バスに乗って待ち合わせ場所へ向かう。
 卒アル委員を志願したときは、女子同士の輪に問題はないが男子メンバーとうまくやっていけるかどうか不安だった。だが活動がはじまれば、程よい感じで作業が進む。日高くんが橋渡し役となって男女の意見対立をうまく調整したからだ。
 (頭がいいって、ああいうことなんだろうな~)
 バスの中で、卒アル委員活動を振り返る。
 (日高くんてさぁ、自分から面倒な役を引き受けるところがあるし)
 日高くんは、クラス副委員長と兼任だった。先生に指名されて兼任していたのだが、その調整能力が買われていたのかもしれない。
 (そういえば、一回も連絡こなかったなぁ~)
 兼任でどうしても手が追い付かないときのためにと、個人的アドレス交換をしてあった。あの彼の調整能力なら、副委員長の活動もうまくこなしていけたようだ。

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