窓明かりの群れに揺れる

35.恵の封筒

 その日の帰り。

 「達也くん、ちょっといい?」

 オフィスの出入口近くで、
 恵が達也を呼び止めた。

 「ん? どうしたんですか」

 笑って返したつもりなのに、
 声が微妙に上ずった。

 ――あれ以来。
 恵に“呼ばれる”だけで、
 胸の奥が反射みたいにざわつく。

 「春奈ちゃんのことで、
  ちょっと相談したいことがあるんです」

 その言い方に、達也は一瞬だけ息を止めた。
 (春奈のこと?)

 怖さとは違うはずなのに、肩が固くなる。

 でも、次に来る言葉が
 「恵自身の話」じゃないとわかって、
 ほんの少しだけ安堵した。

 「ここだと話しづらいから。時間、大丈夫?」

 「……まあ、少しなら」

 頷きながらも、
 心のどこかがずっと引っかかっていた。

 “春奈のことで呼び出す必要がある話”――
 その響きが、いやに重い。

 二人は会社の近くの、
 こぢんまりとしたカフェに入った。

 窓際の席。コーヒー。
 他愛のない会話が続くほど、
 達也の中の警戒心だけが薄く燃え続ける。

 そして、恵がふっと表情を引き締めた。

 「……で、本題なんだけど」

 達也はカップの縁から視線を上げた。

 「達也くん、春奈ちゃんと、今どんな感じ?」

 「どんな、って?」

 「ちゃんと付き合ってるの?」

 核心を突かれて、言葉が喉に引っかかる。
 (ここで、なんでそれを聞く?)

 妙な汗が手のひらに滲むのを感じながら、
 達也は正直に答えた。

 「正式に“付き合ってください”って
  言ったわけじゃないですけど……
  俺の中では、“付き合ってるつもり”です」

 「……そっか」

 恵は小さく頷いた。

 その目の奥に、一瞬だけ影が落ちる。
 達也の心臓が、理由もなく嫌な跳ね方をした。

 「春奈のこと、ちゃんと好きなんだね」
 「……はい」

 それだけは、嘘をつけなかった。

 「で。春奈の話って、何ですか?」

 達也が訊くと、
 恵はバッグから封筒を取り出した。
 無地の、薄い封筒。

 それをテーブルに置く指先が、
 ほんの少しだけ震えて見える。
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