窓明かりの群れに揺れる

36.ささやきから崩れる未来

 それから数日。
 恵は、相変わらず「いつもの恵」ではあったが、
 どこか上の空な瞬間が増えた。

 「恵さん、今度みんなで飲みに行きませんか?
  直樹さんも誘って」

 「ごめん、今ちょっとバタバタでさ。
  また落ち着いたら行こう」

 軽く断られることが続く。
 会話をしていても、
 ふとしたところで目の焦点が
 合っていないような、
 そんな違和感。
 (……やっぱり、無理してる)

 そう感じながらも、
 それ以上踏み込むことができない。

 そして、また別の日。

 春奈が
 朝、出社すると、

 デスクの上に一枚のメモが置いてあった。

 『恵:本日体調不良のためお休み』

 「また……」

 心配が、胸の奥でじわりと広がる。

 振り向くと、
 達也の席も空いていた。

 「達也、今日は有給らしい」

  先輩の何気ない一言に、
  春奈の胸は、さらにざわつく。
 (ふたりとも、いない……)

 たったそれだけのことなのに、
 フロアがいつもより少し広く、
 静かに感じられた。

 その頃、別の場所で――
 達也と恵は、
 真正面から向かい合って座っていた。

 テーブルの上には、
 例の書類と、冷めかけたコーヒー。

 「……一人で育てるつもりでいるから」

 恵は、
 わずかに震える声で、
 しかしはっきりとそう言った。

 「そんな簡単な話じゃないですよ」

 達也は、両手を組み、額に押し当てる。

 「俺の責任なのに――」

 「責任の話だけで縛られたくないの」

 恵が遮る。
 「“だから一緒になってください”っていうのは、
  私には違う気がしてる。
  子どものことも、自分のことも、
  ちゃんと考えたうえで決めたいから」

 「……でも」

 「だからこそ、今は言い切ってる。
  “私は一人でも育てる覚悟はできてる”って」

 決意は揺らいでいなかった。
 その確かさに、達也は何度も言葉を失った。
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