窓明かりの群れに揺れる
 どれくらいそうしていたのか、
 自分でもわからなかった。

 春奈が泣き疲れて、ようやく肩の震えが
 少しずつ収まってきたころ、
 弘樹は、背中に添えていた手に
 ほんの少しだけ力を込めた。

  「……中、入ろうか」

 耳元で落ちてきた声は、責める色も、
 問い詰める気配もなく、
 ただ「ここにいていい」と
 告げてくれる響きだった。

 春奈は、濡れたまつ毛を何度か瞬かせて、
 かすかに頷く。

 腕を解くことが怖くて、
 そのまま指先だけをぎゅっと握りしめると、
 弘樹がそっと手を取った。

 自動ドアが静かに開き、
 あの日と同じエレベーターに乗り込む。
 違うのは、
 ボタンを押す指先を、
 二人分の鼓動が見つめていることだけだった。

 部屋の中に入ると、
 リビングの大きな窓の向こうに、
 相変わらず新宿のビルの灯りが滲んでいた。

  「……覚えてる?」

 弘樹が、カーテンを半分だけ閉めながら言う。

 「ここから夜景見て、
  “都会みたい”ってはしゃいでた、
   あの就活のときの春奈」

 「おぼえてるよ……
   そんなに昔じゃないもん」

 涙で少し掠れた声で返すと、
 自分でもおかしくなって、
 ふっと笑いが漏れた。

 笑いと涙が入り混じった顔を、
 弘樹はしばらく黙って見つめていた。

 それから、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 「……全部、
  聞かないと決めたら、怒る?」

 春奈は、きょとんと顔を上げた。

 「会社で何があったかとか、
  誰が何をしたかとか、
  本当は気になってるけど――」

 言いかけて、苦笑する。

 「今の顔見たらさ。
   “よくここまで来たな”って、
   それしか出てこない」

 その一言が、
 胸の奥の一番痛い場所に、
  そっと触れてくる。

  「……弘樹くん」

 名前を呼んだ瞬間、
 堰き止めていたものが、
  また溢れそうになった。

 「私、
  すごくバカなことしてきた気がして……
  誰も信じられないって思った
           瞬間があって……
 でも、気づいたら、
    足が勝手にここに向かってて……」

 言葉にならない部分を、
 弘樹は最後まで言わせず、そっと遮った。

  「それで、いいよ」

 短く、でも、迷いのない声。

  「最後にここを選んでくれたなら、
   それで、今は十分」

 ゆっくりと近づき、
 濡れた頬に指先で触れる。
 涙の跡をなぞるように、
 親指がそっと動いた。
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