窓明かりの群れに揺れる
 ドアの向こうから、ほんのり柔軟剤と
 コーヒーが混じったような、
 見知らぬけれど嫌じゃない匂いがふわりと
 漂ってくる。

 「どうぞ。一人暮らしだから、
  ちょっと散らかってるけど……
  入って」

 招かれて一歩踏み出そうとして、
 春奈は足を止めた。

 いとこ同士とはいえ、
 “男の人の部屋に入る”という事実が、
 急に意識の表面に浮かび上がる。
 (……従兄弟なんだから、
  変なこと考えなくていいのに)

 自分で自分にツッコミを入れつつ、
 胸の奥が少しざわつく。

 「ごめん、散らかってて……」

 弘樹が、どこか気恥ずかしそうに
 後頭部をかいた。

 「……大丈夫です。お邪魔します」

 言葉に少しだけ“です”が
 混じってしまうあたり、
 自分の緊張具合がよくわかる。

 パンプスを脱いで玄関から一歩上がると、
 柔らかいフローリングの感触が
 足の裏に伝わった。

 廊下を抜けてリビングに出た瞬間、
 春奈は思わず息をのむ。

 「うわ……広くて、素敵な感じですね。
  うちとは、まったく違う……」

 壁一面の大きな窓。その向こうには、
 新宿の夜景がいくつもの光の粒になって
 広がっている。

 遠くを走る車のライトや、
 ビルの窓の明かりが、
 ガラス越しにぼんやりと揺れて見えた。

 「こんな景色、初めて見た……」

 「まあ、初めて見ると夜景はきれいだよね、
  でも住んでいると普通になっちゃうんだ」

 弘樹は肩をすくめて笑う。

 「部屋、見せるね。荷物、ここに置いて」

 案内されたのは、
 リビングの奥にあるドアのひとつだった。

 扉を開けると、
 そこには八畳ほどのベッドルームがある。
 大きめのベッドに、
 シンプルなデスクとチェア。

 壁には余計なものがほとんどなくて、
 窓の外にはさっきの夜景が
 少し角度を変えて見えている。
 都会的で、きれいで、
 少し背伸びしたホテルのような部屋。

 でもなぜか、家具の隙間や真っ白な壁の面に、
 ぽっかりとした空虚さがにじんで見えた。
 (……一人で暮らすには、
  ちょっと広すぎるのかも)

 母から聞かされた「訳アリ」という言葉が、
 ふと頭の隅に浮かぶ。

 「この部屋、春奈さん、
  自由に使ってください」

 弘樹は、ベッドサイドを
 軽く手で示しながら言った。

 「ありがとうございます。
  三日間、お世話になります」

 春奈は、両手を体の前で揃えて、
 ぺこりと頭を深く下げた。
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