窓明かりの群れに揺れる

18.会議の余韻と、一通のメール

 その会議の一時間半は、
 あとから思い返しても、
 ところどころしか記憶がなかった。

 資料を配る手。
 議事録のフォーマットに打ち込むキーの感触。

 先輩の発言に合わせて、
 要点を箇条書きにしていく作業。

 やるべきことは、わかっている。
 身体は、ちゃんと「新人社員」として
 動いていた。

 けれど、胸の奥ではずっと、
 入室した瞬間に見つけてしまった横顔が、
 消えないままだった。
 (見間違いじゃない……よね)

 視界の端に、
 何度かちらりと入ってきたスーツ姿。

 真剣な表情でこちらの部長の話を聞き、
 時折メモを取っている弘樹。

 彼は、ただ「取引先の一人」として
 そこに座っていた。
 (いまは、プライベートじゃない。
  ここでは、ただの“先方の担当者”)

 そのことを何度も心の中で繰り返しながら、
 春奈は自分の手元だけに集中しようとした。

 ペン先が紙を滑る音が、
 やけに大きく聞こえる。
 数式みたいに並んだ専門用語が、
 視界を埋めていく。

 会議が終わり、
 短い挨拶や雑談が交わされる。

 春奈は少し下がった位置で、
 テーブルに残った紙コップをまとめたり、
 使い終わった資料を揃えたりしていた。

 先方のメンバーたちは先に会議室を出て、
 エレベーターホールのほうで
 まだ話しているらしい。

 ガラス越しに、数人の背中が見えた。
 その中に、
 さっき見たはずの横顔も紛れている。
 (見ないでおこう)

 そう決めていたはずなのに、
 視線がどうしても、
 そちらの方向へ引っ張られる。

 ふと目を向けた瞬間、
 弘樹が、こちらを振り返ったように見えた。

 一瞬だけ、視線が絡む。
 そこにあったのは、
 驚きなのか、懐かしさなのか、
 それとも、
 仕事モードを崩すまいとする緊張なのか――

 判別できないくらい、
 すぐに逸らされてしまった。
 (……やっぱり、本人だ)

 胸の奥が、また大きく波打つ。

 全員がフロアに戻ったあと、
 春奈は会議室の片付けを終えて、
 自分のデスクへ戻った。

 パソコンを立ち上げ、
 さっき取ったメモを見ながら、
 会議の報告書をまとめる。
 (今日のゴール、合意事項、宿題項目……)

 決められたフォーマットに沿って、
 淡々と箇条書きを埋めていく。

 頭の中で、
 ビジネス用語と一緒に、
 別の名前が何度も浮かんでは沈んだ。
 (落ち着け。
  いま必要なのは、“感情”じゃなくて“報告書”)

 自分にそう言い聞かせ、
 エンターキーを押す指に、
 ぐっと意識を集中させる。
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