窓明かりの群れに揺れる
 水族館を出ると、
 午後の光が少し柔らかくなっていた。

 「せっかくだし、砂浜も歩いてく?」

 「……いいんですか?」

 「ここまで来て、
  水も触らずに帰ったらもったいないだろ」

 海岸沿いの階段を降りていく。

 砂に足を取られて、
 春奈は少しバランスを崩しそうになった。

 「わっ」

 「危な」

 達也がさりげなく腕を伸ばし、
 肘あたりを支えてくれる。

 「あ、ありがとうございます……」

 「砂浜デビューにはよくあること」

 軽く笑いながらも、
 支える手の力加減はやさしい。

 波打ち際まで近づくと、
 寄せては返す水の音が、
 それまで張り詰めていた何かを
 さらっていくみたいに穏やかだった。

 「なんか、不思議ですね」

 「何が?」

 「会社にいるときと、
  同じ人と話してるのに。
  全部、ぜんぜん違って見える」

 「悪い方向?」

 「逆です。……すごく、落ち着く」

 言ってから、少し照れくさくなって視線を落とす。
 自分でも理由がわからないまま、
 春奈はそっと、隣を歩く達也の手を探していた。

 指先が触れ合う。
 一瞬だけ、達也の肩がびくりと揺れる。

 それでも振り払われることはなくて、
 春奈は、ほんの少しだけ勇気を出して、
 その手をきゅっと握った。

 何も言わないまま、
 達也も握り返してくる。

 ふたり分の影が、
 砂浜の上で、
 ひとつの線みたいにつながった。

 そのとき、不意に強い風が吹いた。
 さらさらと舞い上がった砂が、
 春奈の頬にぱらぱらと当たる。

 「わっ……」

 「ちょっと、目つぶって」

 達也はポケットからハンカチを取り出すと、
 春奈のすぐ目の前に立って、
 そっと顔に近づけた。

 「動かないで。……ここ、ついてる」

 言われるままに、ぎゅっと目を閉じる。
 頬をなでる布の感触と、
 すぐ近くにある息づかい。

 砂を払う手がふと止まった、と思った瞬間――
 頬のすぐ横で、
  やわらかいものがかすかに触れた。

 「……えっ!」

 驚いて目を開けると、
 達也が、
 ものすごく気まずそうな顔で固まっていた。

 「ご、ごめん! 
  今の、その、勢いでというか――」

 「もうっ……ずるいです、そういうの」

 口では冗談めかして怒りながら、
 頬のあたりが一気に熱くなっていくのを感じる。

 「ほんと、ごめん。嫌だったら……」

 「……別に、“嫌”とは言ってません」

 海風にかき消されそうな声でそう言うと、
 達也はほっとしたように息を吐いた。

 ふたりはまた、何も言わずに並んで歩き出す。
 つないだ手だけは、そのまま。

 (……こういうのも、
  “青春”って言うのかな)

 心地よい潮風に吹かれながら、
 波の音と、隣から伝わる体温を感じていると、
 胸の奥が、じんわりとあたたかく満ちていくのを、
 春奈は静かに味わっていた。
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