窓明かりの群れに揺れる
 『春奈? 今、大丈夫?』

 「うん。どうしたの?」

 次の言葉が、空気を一変させた。

 『お父さんが……さっき、
  救急車で運ばれたの』

 「――え?」

 カフェのざわめきが、一瞬遠のく。

 『意識はあるんだけど、
  一応、検査とかしないといけないみたいで。
  今、病院にいるの。』

 「……大丈夫、なの?」

 『まだ詳しいことはわからないけど、
  先生の話だと、
  すぐどうこうって感じではないみたい。
  でも、念のためって』

 母の声は、
 努めて冷静であろうとしているのが
 わかった。

 それがかえって、
 事態の深刻さを物語っている。

 「そっち、行く」

 気づいたら、言葉が口から出ていた。

 「明日、仕事終わったらすぐに新幹線乗る。
  夜になっちゃうかもしれないけど……」

 『ごめんね、
  そんなつもりで電話したわけじゃ
  ないんだけど』

 「謝らないで。
  行くから」

 短くそう告げて通話を切ると、
 目の前のテーブルと、
 握りしめていたスマホだけが、
 はっきりと見えた。

 「……どうしたの?」

 恵の声が、そっと問いかける。

 「お父さんが……
  救急車で運ばれたって」

 「えっ」

 椅子が小さく軋む音がした。

 「大丈夫そうな感じではあるみたい
  なんだけど、
  検査とかいろいろあるから、って」

 「……帰る?」

 「うん。
  明日、会社終わったら、
  そのまま岩手に戻る」

 言葉にすると、
 決意に変わっていくのがわかる。

 東京での仕事。

 同期との関係。

 揺れている気持ち。

 それらをいったん全部後ろに置いて、
 「娘」に戻らなくてはいけない
 時間がやってきた。

 カップの中で、
 さっきまで
 温かかったコーヒーが少し冷めていた。

 春奈と恵は、
 顔を見合わせて、何も言えなくなった。

 心の中で、
 「明日からの仕事が気まずい」
 という悩みと、

 「家族のことを最優先しなきゃいけない」
 という現実が、

 静かに入れ替わっていった。
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