窓明かりの群れに揺れる

24.恋と天秤にかけた数字

 比較資料を作り込むほどに、
 「応援したい気持ち」と
 「見えてしまう現実」が
 少しずつズレていくのを春奈は感じていた。

 A案は、初期の利益インパクトが大きい。

 ただし工場の稼働率は限界に近く、
 トラブル時のリスクコストも跳ね上がる
 可能性がある。

 B案は、立ち上がりこそ地味だが、
 設備更新と人員補強を前提にしていて、
 数年スパンで見ると
 安定した右肩上がりの曲線になる。

 (短期なら、絶対A案のほうが“派手”に
  見える。
  でも、長く付き合うなら……)

 病室で「まだまだ働ける」と笑っていた
 父の横顔が、また浮かぶ。

 (このグラフの向こうには、
  きっと“誰かのお父さん”がいる)

 そう思うと、
 どうしても
方にだけ傾くことはできなかった。

休憩がてら、自販機前で達也を呼び止める。

「達也くん、ちょっといいですか」

「ん?」

「例の比較資料なんですけど……
 “数字だけ”見たら、私にはB案のほうが
 良く見えてしまって」

 プリントアウトを差し出しながら、
 率直に言った。

 「先方案、ね」

 「はい。
  初年度の利益はA案が大きいですけど、
  クレーム発生時のリスクや
  現場負荷まで含めると……
  トータルではB案のほうが堅いかなって」

 達也はしばらく黙って紙面を見つめる。

 「……春奈は、B案推しってことか」

 「“個人の見解”としては、ですけど」

 「でも、
  その“個人の見解”を
  推薦欄に書くんだろ?」

 図星をさされ、胸がきゅっとなる。

 「部長にそう言われたので……
  はい。それが今の正直な意見です」

 「そっか」

 コーヒーを一口飲んでから、
 達也は視線を上げた。

 「俺は、まだA案で勝てると思ってる。
  リスクはあるけど、
  そのぶん部としての評価もでかい。
  攻めて通して、あとから修正する手もある」

 「……ですね」

 「だから、
  明日の合同会議でも俺はA案を押すよ」

 「……分かりました」

 達也を応援したい気持ちと、
 自分が見てしまった数字とのあいだで、
 胸の奥が少しだけ
 引き裂かれる感覚があった。

 翌日の合同会議。
 役員クラスも顔を揃えた、やや重い空気。

 会議は、
 春奈が作った比較資料の説明から始まった。

 部長の声に合わせて、
 スクリーンに表とグラフが映る。

 その数字の並び方に、
 自分の判断が織り込まれていることを
 知っているのは、ここでは春奈だけだ。

 続いて、達也が前に立ち、
 A案ベースの提案をプレゼンする。 

 声は落ち着き、進行もスムーズ。

 ただ、ところどころに「押し通したい」
 という熱がにじんでいるのを、
 春奈は敏感に感じ取っていた。

 「リスクについては、
  社内の監査体制と定期品質チェックで
  カバーできると考えています」

 そう言い終えたところで、
 先方の担当者が手を挙げる。

 「一点だけ確認させてください。
  こちらの“現場負荷は許容範囲”
  という記載ですが――
  東北工場Bラインの、現在の人員構成と
  設備状況を踏まえた試算でしょうか?」

 会議室の空気が、少しだけ張り詰める。

 「昨年末の人員削減後、
  現場からは“現状維持でも
  ギリギリ”という声が上がっています。
  その状態でA案のペースで増産となると……
  現場としては、
  かなり厳しいと考えざるを得ません」

 達也の肩が、わずかに固くなる。

 春奈も、そのデータは資料の中で見ていた。

 さらに別の先方が、静かに補足する。

 「加えて、トラブル発生時に影響を
  受けるのは御社だけではありません。
  他取引先も含めた全体リスクを考えると、
  A案を採る場合は“責任の所在”を
  かなり明確にしていただく必要があります」

 穏やかな口調のまま、

 「現実的にはB案をベースにした協議が
  妥当ではないか」と締めくくられた時点で、

 会議の流れはほぼ決まっていた。
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