窓明かりの群れに揺れる
 部に戻る廊下で、部長がぽつりと言う。
 「……やられたな」

 課長が苦笑しながら肩をすくめる。

 「あちらの言い分も
  筋は通っていましたからね。
  内心、“あれくらいは突かれるだろう”
  とは思ってました」

 「それでも、
  先にあの視点を出せなかった時点で、
  今回はあっちのほうが一枚上手だ」

 その一言に、
 達也は小さく唇を噛んだ。

 「すみません。現場の削減状況、
  もう一歩踏み込めていれば……」

 「責めてるわけじゃないさ」

 そう言いつつも、
 部長の視線は前だけを向いている。

 「ただ、
  “どっちが現場まで見ているか”
  って印象は、今日ではっきりついた。
  そこは、悔しいな」

 その言葉が、
 達也のプライドを静かに、けれど確かに
 刺していた。

 数日後。

 最終的な判断は、役員会議に委ねられた。

 大きなガラスの扉の向こうで、
 重役たちが資料に目を通し、
 何かを議論している。

 春奈たち現場メンバーは、
 フロアの片隅で、結果を待つしかなかった。

 「……B案、だろうな」

 小さくつぶやいたのは直樹だった。

 「数字もそうですけど、
  先方の“現場見てます感”が
  強かったですし」

 「やめろよ、そういうの」

 達也が低く返す。

 「まだ決まったわけじゃない」

 そのやりとりを横で聞きながら、
 春奈は、自分の手帳の端を指でつまんでいた。

 A案、B案どちらに転んでも、
 誰かの感情が傷つく。

 そんな予感が、
 ずっと胸の奥に沈んでいた。

 夕方近く。
 部長がフロアに戻ってきた。
 全員の視線が、一斉にその方へ向かう。

 「結論が出た」

 短くそう前置きしてから、
 部長は静かに告げた。

 「役員会としては――
  先方のB案をベースとして進めることで
  合意された」

 その瞬間、
 フロアの空気が、
 目に見えない形で分かれた気がした。

 ほっと息をつく者。

 悔しそうに舌打ちする者。

 春奈は、
 自分の心の
 どこからその反応が出ているのか、
 すぐには判断できなかった。
 (よかった……のかな)

 地元の工場。

 父と同じような現場の人たち。

 その人たちにとっては、
 たぶん“救い”になる決断だ。

 でも――
 視界の端で、
 達也が拳を握りしめるのが見えた。
 
 「……結局、守りに入るのかよ」

 誰に聞かせるでもない小さな声。

 けれど、近くにいた春奈には、
 その一言がはっきりと届いてしまった。

 「お前のまとめた資料は良かったよ」

 部長が、
 ふと春奈のほうを見て言う。

 「数字としても筋が通っていたし、
  “無理に攻めないほうがいい”って判断も、
  役員たちの後押しになった」

「……ありがとうございます」

 そう答えながら、
 春奈は視線を落とした。

 その評価が嬉しくないわけじゃない。

 でも、その言葉の陰で、
 誰かひとりのプライドが
 静かにきしんでいる音が聞こえた。
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