窓明かりの群れに揺れる

25.見えてしまった“本当の理由”と、すれ違った夜

 その日の夜。

 ほとんど人がいなくなったフロアで、
 春奈はひとり、
 デスクライトだけを点けて資料を
 見直していた。

 (どこかに、
  まだ見落としている数字が
  あるんじゃないか)

 そんな思いが、帰る足を止めさせていた。

 ディスプレイには、
 A案とB案の比較表、
 そして先方から追加で送られてきた資料。

 スクロールしていくと、
 見慣れた地名がまた目に入る。

 「……ここ」

 東北の、小さな町の工場。

 備考欄には、細かいメモが残されていた。

 ――高齢化進行。

 ――人員減少により、現状維持もギリギリ。

 ――短期的な増産は困難。

 ――ただし、追加投資と若手採用の目処が
  立てば、3〜5年で安定稼働の見込み。

 その下に、小さな文字でコメントがある。

 『ここを守れなければ、
  周辺の下請けも一気に連鎖する。
  長期的には地域の雇用そのものが
  崩れるリスクあり』
 (……ここ、お父さんの会社が
  出入りしてるエリアだ)

 ふっと、
 家の居間で父がぼそっと話していた
 言葉を思い出す。 

 『最近、周りの工場も厳しくてな……
  どこか一つでも大きくコケたら、
  一気に来るかもしれん』

 それを聞いたときは、
 ただ「大変そうだな」と思っただけだった。

 でも今、こうして自分の仕事の資料の中で
 その現場が出てくると、
 数字の向こう側の「顔」が、
 いやでもちらついてしまう。

 さらにページをめくると、
 先方内部の打ち合わせメモらしき文面が
 続いていた。

 『商社側はA案を好むはずだが、
  短期の数字を優先すれば現場に無理が出る。
  B案で通せるよう、説得材料の整理が必要』

 そこに、「高橋」とだけ、
 手書きの署名のようなメモ。

 「…………」

 椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
 (やっぱり……あの人、わかってたんだ)

 ふいにかけられた声に振り向くと、
 会議室から戻ってきた部長が、
 ジャケットを片手に立っていた。

 「すみません、資料の確認をしていて……」

 「もう十分やってるだろ。
  倒れられると困るぞ、新人さん」

 冗談めかしながらも、
 部長の目は資料の画面に向けられている。

 「……その顔は、何か引っかかってる
  顔だな」

 「先方の、東北工場の資料なんですけど」

 春奈は、該当箇所をスクロールして見せた。

 「ここ、うちの父の会社も関わっている
  エリアなんです。
  それで……
  このB案の前提条件を見ていたら、
  “あ、この人たちは本当に現場のこと
   考えてるんだな”っていうか……」

 言葉にしながら、自分でも胸が熱くなっていく。

 「さっきの会議で、
  先方の方が“責任の所在”とか
  “全体への影響”って何度も言っていたの、
  あれも全部、本気だったんだなって」

 「そうだな」
  部長は椅子を引き、
  春奈の隣に立つ。

 「正直に言うと――」

 画面を覗き込みながら、ぽつりと続ける。

 「今回、役員会の決定の裏付けになったのは、
  達也のA案と、この先方資料、
  そして君の比較表だ」

 「……私の?」

 「ああ。
  新人だからこそ、素直に“B案が妥当”
  と書いてくれた。
  迷いつつも、ちゃんとそう出した。
  その筋の通し方を見て、
  向こうの“本気”と噛み合わせた結果だ」

 そして、少しだけ苦笑する。

 「商社ってのは、
  どうしても短期の数字を追いたくなる
  生き物だ。
  でも、たまにはこういう判断もできる」

 その言い方が、妙に胸に染みた。

 「……正直に言うとね」

 部長は、視線を画面から離さないまま言う。

 「高橋さんたちが、現場と地域を守ろうと
  しているのは、
  見ていてよくわかったよ。
  そういう相手だからこそ、
  長く付き合ったほうがいいだろうと、
  役員たちも判断した」

 「……そうだったんですね」

 心の中で、
 弘樹のロビーでの横顔がふっと重なる。

 “放っておけなかった”と言った声。
 地元の空気をまとった、あの言い方。
( 仕事のときも、同じなんだ)

 感情を挟まずに、
 でも、ちゃんと人の暮らしを見ている。

 数字の向こう側にあるものを見ようとしている。

 「達也のことも、気になるだろうけどな」

 部長がふっと口元を緩める。

 「悔しくて当然だ。
  それだけ本気でA案を押してたってことだ」

 「……はい」

 「でも、君は、
  君なりに正しいと思ったことを
やっただけだ。
  それは、誰にも否定させる必要はない」

 そう言って、
 部長は時計を見た。

「もう帰れ。
 ここで風邪ひかれても困る」
「……はい。お疲れさまでした」
「おつかれ」

 部長が去ったあと、
 春奈はもう一度だけ画面を見つめてから、
 そっとPCを閉じた。
(……私、間違ってなかったよね)

 誰に聞かせるわけでもなく、
 心の中でそう問いかける。
 返事はない。

 ただ、胸の奥のざわめきが、
 ほんの少しだけ静まった気がした。
< 66 / 122 >

この作品をシェア

pagetop