窓明かりの群れに揺れる

26.恵の小さな優越感と、つかの間の幸せの夜

 駅近くの居酒屋。
 カウンター席に並んで腰を下ろし、
 ビールと軽いおつまみを注文する。

 「とりあえず、お疲れさま」

 「……ああ」

 グラスを軽く合わせる音だけが響いた。

 一杯目が半分ほど減ったところで、
 恵が静かに口を開く。

 「……悔しいよね」
 その一言に、
 達也の喉がきゅっと鳴る。

 「悔しいに決まってんだろ」

 押し殺した声が出た。

 「自分の案を通したくて、
  さんざん準備して。
  多少の穴があったのもわかってる。
  それでも、“攻めて勝ちたい”って
  思ってたんだよ」

 「うん」

 「ふた開けたらさ。
  向こうに数字で詰められて、
  “現場を見てるのはこっちです”
  って顔されて。
  気づいたら、うちの役員もB案に
  傾いててさ」

 言葉と一緒に、アルコールも流し込んでいく。

 「トドメが、春奈の資料だよ」

 「……見てたんだ」

 「そりゃ見るだろ。
  同期のくせに、あいつの比較表が
  一番筋通ってた」

 自嘲気味の笑いが漏れる。

 「“B案が妥当だと思います”ってさ。
  ちっちゃい文字で書いてるくせに、
  一番重いひと言なんだよ、
  ああいうのって」

 「春奈、ちゃんと見てたんだね」

 「見てたよ。
  ……だから余計ムカつく」

 「え?」

 「アイツ、何も悪くないんだよ」

 達也は、グラスを握る手に少し力を込めた。

 「ちゃんと仕事して、
  ちゃんと考えて、
  結果的に“正しい側”に立っただけ。
  だからこそ、“俺の負けです”って
  突きつけられたみたいでさ」

 「……そっか」

 恵は、それ以上の言葉を入れなかった。

 ただ、小さく頷き、
 同じペースでビールを口に運ぶ。

 慰めようともしない。

 責めもしない。

 ただ、横で聞いているだけ。

 その距離感が、
 達也にはありがたかった。

 「……春奈には、
  ちゃんとしたとこ見せたかったんだよな」

 気づいたら、本音が口をついて出ていた。

 「“達也くんの案、通りましたね”って、
  言わせたかった。
  “さすがですね”って、
  ちょっとでも思われたかった」

 「うん」

 恵は、小さな声で相槌を打つ。

 それだけなのに、
 さらにグラスが進んでしまう。
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