窓明かりの群れに揺れる

31.泥酔と陶酔に彷徨う、達也の長い夜

 一方、達也は恵とは、まったく違う世界に
 飛び込んでいた

 廊下を歩く足がの感覚がない、
 うすい意識に中で恵に体を支えられていた。

 部屋のドアが閉まった音が、
 やけに遠くで響いた気がした。

 気づいたときには、
 背中に柔らかいものが当たっていた。

 ベッド。

 その上に自分が倒れ込んでいて、
 その胸元に、
 恵のやわらかな体温が重なっている。

 (ちょ、待っ――)

 頭の中では、「やめろ」が点滅していた。

 春奈の顔が、いちど、ちらりとよぎる。

 でも、口はうまく動かない。

 アルコールが回りきった体は、
 言葉より先に、目の前のやわらかい熱に
 反応してしまっていた。

 肩に、腕が回る。

 首筋に落ちる、熱い息。

 スーツ越しに伝わる体温が、
 じわじわと広がってくる。

 (違うだろ、これは……)

 そう思うが、別の声がかぶさる。

 (でも、もう限界だろ――)

 何度もブレーキを踏んできた感覚が、
 泥の中に沈んでいくみたいに
 弱くなっていく。

 温かい感触、ほのかに甘い香り、

 若い無意識の感情が、
 すべてのブレーキを取り払い、
 アクセルだけを踏み込む。

 自分の指が、勝手に彼女の背中を探る。

 視界の端で、ホテルの天井が滲む。
 (春……)

 言いかけた名前が、喉の奥で溶けた。

 目を閉じると、
 そこに浮かぶのは春奈の姿だ。

 でも、抱きしめている軟らかい体温は、
 間違いなく恵のものだった。

 ゆっくりと、しかし確実に、
 現実の境目を曖昧にしていく。

 善悪も、理性も、
 全部まとめて高熱の中に
 押し込められていく。

 息が荒くなる。

 まとわりついていた布を、
 次々とベッドのどこかへ追いやり、
 無くなった境界線に、
 やわらかな熱を感じながら、
 深く引き寄せる。

 心臓の鼓動が、
 耳のすぐそばで鳴っているみただ。

 (もう止まらない……)

 どこまでが自分の鼓動で、
 どこからが相手のものなのかも、
 もうわからない。

 まったく隔たりのない空間に、
 暖かく、おく深く包みこまれていく。


 波が、ひとつ来る。(……っ)


 そのたびに、何かをひとつずつ
 手放しているような感覚があった。

 それでも、止まれない。

 もう止まりたくないとすら、
 どこかで思ってしまっている。

 (止まらない……、
  すべてを出し切ってしまうまで――)

 そんな言葉が、ぼんやりと頭をよぎる。

 重なり合う熱に飲み込まれながら、
 現実の輪郭がどんどんぼやけていく。

 時間の区切りが消えた。

 何度目なのか、
 今がどの瞬間なのか、もう数えられない。

 かすれた息づかいが、耳元で何度も揺れる。

 その音に包まれるたび、
 達也の意識はゆっくりと奪われていき、
 頭の中は、その音で埋め尽くされていく。

 無意識の反応は、
 満たされた音で、さらにアクセルを踏む。

 なんども、波が来ては引き、
 来ては引き――

 そのたびに、身体の奥が空っぽになっていく。

 無意識のもやもやと、
 わずかな体重が抜けていく。


 やがて。
 全身を貫くような、ひときわ大きな波がきた。

 息が詰まる。

 耳元のかすれた息づかいが、
 さらに大きく揺れ乱れ、達也を包んでいく。


  「うっ……!」


 吐息と共に、視界が白く弾けて、
 すべての音が遠のく。

 何かが、自分の中から一気に引き抜かれ、
 あたたかい温もりに吸い込まれていく。

 開放感とともに、
 全身の力が一気に抜け落ちる。

 そのあとに残ったのは、
 わずかな振動と無音の空間。

 鼓動と呼吸がゆっくりと落ち着いて
 すぐそばにある、やわらかな体温が、
 じんわりと伝わってくる。

 無意識に愛おしい気持ちに包まれ、
 その軟らかい体を引き寄せる。

 徐々に全身に、
 重たい疲労がまとわりついてくる。

 何も考える気力もなくなり、
 ただベッドの中に沈み込む。

 身体の奥は、
 すべてを絞り尽くしたみたいに
 空っぽになり、

 意識は深い闇の中に沈んでいった。
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