すべてを失ったはずが、一途なパイロットに秘密のベビーごと底なしの愛で囲い込まれました
 ようやく暑さも収まりつつある。ずいぶんすごしやすくなったと、通りを歩きながら風で乱れた髪を耳にかけた。
 何度も通っているから、病院への道順も時間外の入口もすっかり慣れてしまった。

「父さんは大丈夫だから、たまには早く帰ってゆっくりしなさい」

 手術から四日が経ち、父の意識ははっきりとしている。けれど、掠れた声でそう言われても説得力はない。
 少し体を動かすだけで痛みに顔をゆがめる様を見ていると、心配になる。

「一日に一回はお父さんの顔を見ないと、私が落ち着かないの」

 自分のためにここへ来ているのだと主張する。

 職場から病院は家と真逆の方角になり、お見舞いから帰ると夜の九時を回ってしまう。だから、私の負担はそれなりに大きい。
 それでも自宅でひとりぼっちで過ごす時間は心細くて、毎日ここへ通っている。

「悠里は、ちゃんと食べてるか? 帰りに美味しいものでも食べていきなさい」

 そう言いながら、父は鍵付きの金庫に手を伸ばそうとする。おそらく、私にお金を渡そうとしているのだろう。

「ちょっとお父さん、私は大丈夫だから。食事は毎回ちゃんと食べてるし、外食するお金くらい自分で払うから」

 父にとって、私はいつまでたっても小さな娘なのかもしれない。

 それなりに元気そうに見える父だが、さっき担当医からは『回復が少し遅いため、入院が予定より長引くかもしれません』と説明を受けてきたばかりだ。それがとにかくショックだったが、本人の前で落ち込んだ顔なんて見せられない。

「じゃあ、今夜は豪華なものでも食べて帰ろうかな」

 軽い口調でそう宣言すると、父に無理をさせないように短めの滞在時間で病室を後にした。
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