海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
1.5章〜The other side of the story〜

哀の伏流

忘川(ぼうせん)を訪れる者は、深い理由のある者だけであった。
それは、自ら絶望し⋯望んで身を投げる者。大罪を犯し、その罰を受ける身として天より落とされる者。大抵はこの2つのどちらかだ。
そうでなければ、天妖界と魔界、そして幽冥界との3つの世界の境界線⋯いわゆる緩衝地に来る者は、戦いを企てる者。

その、どれかに該当するのか?

忘川の側で大量の血を流し、ぐったりとしている女を見つけた有昧王《ゆうまいおう》は、その者の額に手を翳して⋯、その者の記憶を辿っていく。

プツリ、プツリと切れる、断片的で曖昧な記憶。
溢れるほどに流れ伝わって来る⋯壮絶な悲しみ。

人間であると、疑う余地もなかった。
その人生が事切れたことも⋯本人の真相心理として漏れ伝わってくるものがあった。

なのに、だ。この者は⋯なぜ、死して、生きているのだ。

王には彼女から伝わる大きな悲しみが⋯痛みに代わって伝わっていった。
それは彼には欠損した感情の一部であって。理解し難い苦しさが、彼の心臓の慟哭となって表れる。

久方振りに感じる⋯それは。
冷酷で恐れられるこの男にとって、許し難いものであると同時に⋯求めているものでもあった。

彼女の全身は濡れていて、血にまみれた服も⋯ボロボロ。
触れた額も、頬も、既にヒヤリと冷たくなっていて。忘川から打ち上がったのかどうかも分からない。
⋯生死の淵を彷徨っている。それだけは、確かであった。

この者を救おうなどとの思いは、微塵もなかった。
けれど、侵略された事実と⋯来ることがないはずの人間であること。この2つは、国を護る者として見逃すこともできない。

小さな小石が布石となって⋯世の安寧を脅かすことは、世の常だ。

生きようが死のうが構わないのに、死んでは困る。

だから、有昧王にとって⋯ただただ面倒くさくい案件のひとつに過ぎなかったのだ。

彼は仕方なく彼女を抱きかかえると⋯、臣下である福に世話を命じて、軍の隠れ家でもある洞窟へと連れていった。

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