海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
私は再び―⋯黍畑の地に立っていた。
馬鹿な真似は辞めろ、と必死に食い下がった福は―⋯ハラハラとしながら、今や遠く離れた木陰で右往左往している。
おそらく―⋯、だ。有昧后に自由にさせよと命じられているのだろう。心配と命令の狭間で葛藤しているようだ。
憐れで可愛い福に、決定打を与えるべく―⋯私はピシャリと言い切った。
「自由を勝ち取る賭けに、口出しは無用。有昧后に無力ではないと見せつける機会を、ようやく得たんだから」
「でも⋯」
「死ぬのが怖い、と?いいえ。死ねばまた日本に戻れるかもしれないじゃない?そうなれば―⋯好都合」
福は押しだまり、あとは―⋯何も言わなかった。
私は―⋯また数日をかけて待った。情報を得て、場所を僅かに変えながら。
そして―⋯その時が訪れた。
猪の突進は時速40キロを有に超えるであろう。正面から受け止めれば、こんな細い腕など簡単に砕かれてしまう。
狙うは―⋯一撃。
猪の突進のエネルギーをそのまま利用する「カウンター」だ。
ボランチとして最も得意な相手とは?
何の策もなく―⋯真っ直ぐ向かってくる猪突猛進型だ。けれど相手は屈強な獣。接触してしまえば―⋯死を意味する。
ギリギリまでは動いてはいけない。逃げれば背中を裂かれ、早すぎれば軌道を修正されるからだ。
「ボランチ冥利に尽きる」
額から一筋の汗が―⋯滴り落ちていた。
プレッシャーはあれど⋯これは、生きる為だ。
有昧の食糧問題に貢献できる者として証明できれば、活路が見出される。同時に―⋯男に負けない腕っぷしであると、噂になるであろう。
解放への近道だ。
それに―⋯、だ。
そろそろ―⋯、肉、食べたいじゃない?
与えられないなら、得る。それだけだ。
叫び声すら出なかった。
猛然と迫る猪の鼻息が、私の顔に熱く吹きかかる。突如訪れた恐怖を押し殺し、自ら死の懐へと飛び込んだ。
――今!
地面を蹴り、重心を下げて回転するように突進をかわす。同時に、右脇に抱え込んだ『木の棒』を、獣の首筋めがけて真っ直ぐに突き出した。首の根本―⋯頸動脈へ。
ドンッ!という衝撃が腕を伝い、肩が外れそうなほどの圧力が襲う。が、夜通し編み上げた麻紐は、その衝撃を逃さなかった。
「……通れ!!」
祈り混じりの叫びと共に、石の枕の破片が猪の厚い脂肪を裂き、動脈を捉えた。鮮血が5月の明るいキビ畑に飛び散り、朱色の霧を作る。
勢い余って転倒した猪は、激しく土を跳ね上げながら数メートル滑り、やがてその巨躯を痙攣させた。
私は―⋯荒い息を何度も吐きながら、血に濡れた手のひらを見つめる。麻紐が食い込んだ指からは血が滴り、自作の槍は、その役割を果たして折れ曲がっていた。
木陰でハラハラとしていた福が、腰を抜かしたまま、信じられないものを見る目で私を見つめていた。
馬鹿な真似は辞めろ、と必死に食い下がった福は―⋯ハラハラとしながら、今や遠く離れた木陰で右往左往している。
おそらく―⋯、だ。有昧后に自由にさせよと命じられているのだろう。心配と命令の狭間で葛藤しているようだ。
憐れで可愛い福に、決定打を与えるべく―⋯私はピシャリと言い切った。
「自由を勝ち取る賭けに、口出しは無用。有昧后に無力ではないと見せつける機会を、ようやく得たんだから」
「でも⋯」
「死ぬのが怖い、と?いいえ。死ねばまた日本に戻れるかもしれないじゃない?そうなれば―⋯好都合」
福は押しだまり、あとは―⋯何も言わなかった。
私は―⋯また数日をかけて待った。情報を得て、場所を僅かに変えながら。
そして―⋯その時が訪れた。
猪の突進は時速40キロを有に超えるであろう。正面から受け止めれば、こんな細い腕など簡単に砕かれてしまう。
狙うは―⋯一撃。
猪の突進のエネルギーをそのまま利用する「カウンター」だ。
ボランチとして最も得意な相手とは?
何の策もなく―⋯真っ直ぐ向かってくる猪突猛進型だ。けれど相手は屈強な獣。接触してしまえば―⋯死を意味する。
ギリギリまでは動いてはいけない。逃げれば背中を裂かれ、早すぎれば軌道を修正されるからだ。
「ボランチ冥利に尽きる」
額から一筋の汗が―⋯滴り落ちていた。
プレッシャーはあれど⋯これは、生きる為だ。
有昧の食糧問題に貢献できる者として証明できれば、活路が見出される。同時に―⋯男に負けない腕っぷしであると、噂になるであろう。
解放への近道だ。
それに―⋯、だ。
そろそろ―⋯、肉、食べたいじゃない?
与えられないなら、得る。それだけだ。
叫び声すら出なかった。
猛然と迫る猪の鼻息が、私の顔に熱く吹きかかる。突如訪れた恐怖を押し殺し、自ら死の懐へと飛び込んだ。
――今!
地面を蹴り、重心を下げて回転するように突進をかわす。同時に、右脇に抱え込んだ『木の棒』を、獣の首筋めがけて真っ直ぐに突き出した。首の根本―⋯頸動脈へ。
ドンッ!という衝撃が腕を伝い、肩が外れそうなほどの圧力が襲う。が、夜通し編み上げた麻紐は、その衝撃を逃さなかった。
「……通れ!!」
祈り混じりの叫びと共に、石の枕の破片が猪の厚い脂肪を裂き、動脈を捉えた。鮮血が5月の明るいキビ畑に飛び散り、朱色の霧を作る。
勢い余って転倒した猪は、激しく土を跳ね上げながら数メートル滑り、やがてその巨躯を痙攣させた。
私は―⋯荒い息を何度も吐きながら、血に濡れた手のひらを見つめる。麻紐が食い込んだ指からは血が滴り、自作の槍は、その役割を果たして折れ曲がっていた。
木陰でハラハラとしていた福が、腰を抜かしたまま、信じられないものを見る目で私を見つめていた。