海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
くるくると回りながら去っていく帝江が見えなくなるまで、私はひとしきり笑うと⋯そんな私を笑みを浮かべながら見つめていた男に、いよいよ対峙する。
笑うことをやめ、心底軽蔑するように⋯睨みながら。
「なぜ無抵抗のあの者に、矢を?」
「あれとよく似た悪神と、勘違いしただけです」
「人に矢を向け、放つなんて⋯。私が貴方に何かしましたか?」
「⋯⋯。人、とは、貴方は人間であると?」
質問に質問で返すその声色は、至って穏やかなものであった。
「「⋯⋯⋯」」
二人の間に、妙な間が流れる。
邪気が抜かれるような⋯温かい眼差し。
初対面であっても、この人を責める気にもならない⋯万物を俯瞰するような、尊き視線。
あの有昧王が、冷酷かつ妖艶な眼差しで人を翻弄するのなら⋯この者は、その包容力ある絶対的信頼で人を従わせる。たったの数秒で、何故か⋯直感でそう判断していた。
(あの人と比べるだなんて、どうかしてるな)
「人間であったら、何か問題が?」
男が黙って小さく首を振るその様子に、少し安堵する。
私はひとつ咳払いをして、続けて男に問う。
「⋯追わないのですね」
「ここを去るのなら、どこに行こうが彼の自由です」
「彼?⋯男であると、どう判断を?」
「⋯⋯⋯」
男は、返事に詰まる。ちょっと答えに困っている?
思わずふっと笑ってしまう。
「その通りです。なぜ男だと思ったのでしょう?聞きもせず、勝手に。⋯愚かなことです」
上衣下裳に、裾の広がるゆったりとした羽織物を着て。上等な白のその生地が、この人の高貴さを⋯表しているようだった。
「帝江への配慮も含め、貴方は思慮深い方だ」
そう言って、まだ座り込んだままの私に手を差し伸べた。
私は男の手を掴み、よっ、と小さく声を上げながら立ち上がった。
尻についた土をポンポン、と払いながら⋯気恥ずかしいその褒め言葉を⋯頭の中でリフレインさせる。
「いえいえ、とんでもない。私は、貴方がたの音の調に誘われてここに来ただけで、ただただ邪魔されずずっと聞いていたかった。⋯それだけです」
「⋯⋯鸞の歌声が聴こえたと?」
「ラン、とはあの鳥のことですか?」
2人揃って、空を見上げる。
もう、あの鳥は⋯そこにいなかった。
「跡形もなく消えてしまいましたが⋯、そう。鸞は滅多に遭うことも唄うこともない。幸運を呼ぶ瑞獣と言い伝えられています」
名残り惜しそうに、愛しい者を見るようにして⋯男はその面影を探している。
「そんな貴重な⋯」
「ですが、今日は私が卑怯な手を使ったゆえ⋯」
「ええ?」
「これです」
男は、自分の懐から何かを取り出すと⋯それを私に手渡して来た。
手にしたものを、じっと見ると。
「⋯⋯⋯鏡?」
青銅でできているそれに⋯そ映されているのは、自分の姿。
「これにあの者を映し、更に笛の音で⋯仲間だと思わせたのです」
「⋯⋯なかなか⋯卑怯ですね」
真摯な出で立ちで、そんなことをシレッとしていたとは。
「手厳しいな。苦肉の策です」
「⋯⋯⋯」
男の心地よい口調、興味深い話に虜になるかのように⋯私は思わず提案する。
「面白そうです。ぜひ、ゆっくり話を聞かせてもらえませんか?」