海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
2.5章〜The other side of the story〜

裏綴じの指切り

月夜に照らされたその者の顔を⋯、男は、何度も何度も不思議そうに見つめた。

名を聞いても、あっけらかんと「わからない」と返す。
酒に酔えばうっかり吐くだろうと思っても⋯「忘れた」と平気で笑う。

いくら勘ぐって探ろうが、真意を見極めようと目を合わそうが、一貫として揺るがずに⋯逃げることもせず、答える。
傲慢なのかと思ったら⋯そうでもない。
嘘はついていない。

矢を向けたというのに、恨み言は一瞬。
ましてや、人間から見ればどんなに恐ろしく見えるであろう帝江(ていこう)にも動じず、平気で庇う。

人間にこんな器の持ち主がいようとは⋯思ってもみなかったのだ。

かつての自分と重ねて⋯自由だった日々が、懐かしく感じていた。

この男、博益(はくえき)にとって⋯形式ばった場ではなく、思うままに酒を飲むなど⋯久しいことであった。

海棠(かいどう)という仮名をつけた者の気持ちも⋯わからなくもない。慣れぬ酒に頬を赤らめる姿も、凛々しく勇敢な姿も、どこか純粋で美しい。
海棠の、薄紅の華やかで艷やかな花⋯そのものを形容しているかのような、人間であったからだ。

ましてや⋯この九部を巡った自分さえ知らない他の国を。夏《か》の小ささを⋯【世界】という名に閉じ込めて、当たり前のことのように語る。

天の神よりも、天を知る。
それを興味を持てずに⋯、いられるだろうか。


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