海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
男は穏やかな笑みを浮かべて。
それから、鏡を持つ私の腕を掴むと⋯

あっという間に、気づけばそこは⋯男が笛を奏でていた、あの木の枝の上であった。

「⋯⋯!うわ、揺れ⋯ちょっと、怖っ―⋯」
手を添え、私をそこに座らせた男は⋯意外だ、と言わんばかりに、私の姿を見て笑う。

それもそのはず。
木の枝。高く、足場も揺れる⋯不安定なそこは。

有名なアトラクションのそれよりも、恐怖を仰ぐのだ。

「下さえ見なければ⋯⋯ああ、駄目だ」
思わずぐらつく私の腕を男が掴んで、落としかけた鏡をキャッチする。それから⋯「ゆっくり呼吸を合わせて」と、自身の口元を指さして合図のように、ひとつ頷いた。

ゆっくりと、長く⋯私に聴こえるようにして、男は息を吐く。私はそれを真似、合わせるようにして⋯呼吸を整えていく。
「臍の下、ここ⋯丹田を意識してもう一度」

するとどうだ。先程までの恐怖心が幾分か和らぎ⋯そこでやっと私は、男の顔を見ることができた。

「先程までの勇敢さはどこへ行ったのですか?」

「⋯⋯足場が不安定な場所とか宙ぶらりんな状態がすごく苦手なんです。ええと―⋯鞦韆(しゅうせん)(※ブランコ)とかも」

「【しゅうせん】?それは知りませんが、いずれにせよ克服するよいきっかけになるのでは?」

「⋯⋯⋯」
(おっと?古代過ぎてまだ鞦韆という遊びも伝わってないのか)

それにしても、柔和な顔で意地悪を言う。
けれど、嫌味はない。

私達は決して下を見ずに、互いに何度も視線を合わせながら⋯話をした。


男の言う苦肉の策とは、人を探す為の⋯ものだった。

琴を奏でることが日課であったその者は⋯気まぐれで各地を訪れては、時に現れる妖怪や獣たちをからかいながら、その音色を響かせていた。

男は1度だけ、その場に遭遇したことがあるのだという。鸞の唄声とその者の調の忘れられず、幸運を運ぶその吉兆を⋯再会の標となるのではないかと、今宵ここを訪れたのだそうだ。

思いきって、聞いてみる。
「それで、貴方が遭ったその者は雄と雌、どちらだと?」

賢そうなこの者なら、この質問の意図を⋯理解するだろう。
からかい半分。でも、気にも留めないであろう。

「⋯⋯。(らん)は雄の鳥のことをいいます。(メス)であれば、それは⋯()と呼ばれます。 ⋯この答えで、満足ですか?」

「⋯⋯そうですか」
予想外に難なく返された答えに、ちょっとだけ自分が恥ずかしくなった。

これ以上は⋯愚問であろう。

< 58 / 128 >

この作品をシェア

pagetop