海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
疑っているのか、そうでないのか。
見抜いているのか、試しているのか⋯判断がつかず。
ただ、一見ふざけているようで⋯物事の本質を突くこの切り替えの早さが、やっぱり⋯ただ者ではないのではないか、と思わせてしまう。

だから浮游は⋯困るのだ。
人畜無害のような顔をして、忘川のほとりを侵したように、何かを⋯引き起こしそうで。

「⋯⋯お前と同じだ。名前があるようで⋯無い」

「⋯⋯⋯どういう⋯こと?」

「1つは捨てたくとも捨てられず、2つ目は、放棄したくともできずにいる」

「⋯⋯?それは⋯聞いても?」

「どの名を聞きたい?」

「捨てられない名前。私には⋯捨てたくないのに、捨ててしまった名前があるから。まだ名乗るのなら⋯それは貴方の意思でそうしているのだろうから。大事に⋯思っているから」

「⋯⋯⋯!」

「違うの?有昧王」

的を得ているのかもしれない。
こんな話を⋯かつて誰かに話したことなどあっただろうか?
誰かそれを指摘したことがあったか?


揺るがないまっすぐな視線。
意志のある⋯慧眼(けいがん)

こういう眼差しが、一番苦手だ。

「どんな悪行を重ねてる名前でも、私にはわからない。盗賊でも殺人鬼でも、私にとっては今知る貴方が全て。それに、どうせ夢。何なら今呼ぶ名を、考えましょうか?貴方がそうしてくれたように」

「⋯⋯⋯」

「黙ってるならそうするけどいいの?ハクジョウ(薄情)、キチク(鬼畜)、レイテツ(冷徹)⋯う〜ん⋯あとは⋯シオ(塩)!顔は塩じゃあないけど」


浮游(ふゆう)

「⋯⋯。字は?」
海棠はそう言って、自分の手を差し出す。

彼は仕方なくその手をとって⋯掌にさっと文字を書いていく。

1画ずつ確認していた博益とは⋯真逆だ。

けれど、これは⋯夢なのだ。
浮游は書き終えたその字の上に、自分の掌を乗せて⋯数秒。
ぎゅっと拳をつくり、握りしめたかと思うと⋯

宙に向かってまた開いて。

すると⋯美しく整った【浮游】の文字が⋯目の前に、浮かび上がってきたではないか。

「⋯⋯ふふっ⋯」
海棠は思わず笑ってしまう。なぜならば⋯

「名前と同じ、漂ってる」
なぜならば、【浮游】の文字が、名の通り自由に⋯ふわふわと浮いているのだから。

それに⋯、だ。
文字は体を表す、という。

適当に見えて⋯
力強く、美しく整ったこの文字が⋯浮游という妖怪の本質を表してくれているように思えて。

単純に⋯嬉しかったのだ。








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