一夜だけの恋も、重い愛もいりません。〜添乗員しづの恋
 私は、先ほど蛯原さんと相談した上で決めた代案を、岡田に伝えた。
 
 桜の名所巡りツアーだけれど、桜がないのなら仕方ない。
 
 「曽木(そぎ)発電所遺構って分かりますか?」
 
 産業遺跡や歴史が好きな人なら間違いなく満足する場所を提案してみた。

 曽木発電所は明治42年に建設され、昭和40年に下流の鶴田ダムの完成により60戸の民家と共に、人工の湖に沈んだ。
 
 その数年後、雨量の多い夏にダムの水位を下げたところ、中世ヨーロッパの城を思わせるルネサンス様式の発電所が姿を現せて、人々をあっと驚かせたのだという。
 
 「ここから2キロくらいだし、行けるは行けるが……」
 
 岡田が快諾しなかったのは、ダムの水位が下がるのが5月から9月で、今の時季に行っても遺跡の全貌を見ることが出来ないからだった。
 
 「少しだけ見えても神秘的な場所よ」
 
 ガイドの蛯原さんも、一部だけでも見る価値があると推したので、岡田は頷き、「……分かった」とそちらにバスを走らせた。


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